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いじめられた記憶は何年も続く。

最近、昔受けたイジメのことを、頻繁に思い出す。
特に、高校時代の時に、休み時間に勉強をしてると勢いをつけて飛んできたエルボー(肘打ち)のこと。そりゃ、背後から、いきなり全体重をかけてスピードつけて落ちてくるエルボーだもの、痛くないはずはない。振り向いて「ちょっと…」と迷惑そうに言うと「あぁ?」と凄んでくる。
にやにやして、ちょっと遊ぼうか。
教室の後ろに来いと…。
そこには、そいつの仲間がいて、劣等感の低さを満たしたいだけのいくつかのショーがはじまるのだ。

勉強してると、毎回それが繰り返される。いまだにその子の名前も、ずっと忘れることがない。顔つきも思い出せる。
大人になった今でも、いや、大人になった今だからこそ、その話をして「なにをしてくれたんだ」と罵りたいと思うほど怒りが消えていない。

もともと、集中するのが苦手だった私は、それから背後に人がいると、本気で集中できなくなった。

あまりにもいじめが過ぎるので、逃げようと家出まで画策した。私がいじめられるのも嫌だったのだけれど、他の人がいじめられているところを見ることが本気で嫌だったからだ。

どっか、いじめのない世界があれば良いと思っていた。

学校の先生に相談するも、なすすべなく、「いじめはだめだ」とおきまりの言葉を吐くだけで、何も変わらなかった。
そして、そのあとはお決まりの、「お前、ちくったろうが」という尋問が始まる。”ちくる”という言葉をはじめて高校一年生になって知った。告げ口をするという意味を、誰から教えてもらうこともなく知っていたふりをした。
”ちくるやつは、なさけないやつ”というレッテルを貼られて、いじめる側でなくても、裏切り者というカテゴリーに入れられてしまう。

あの時、自分で何も解決できなかったことを、いまだに後悔している。

家出するのも、親が書き置きを先に見つけ、泣いて出ていくなと言われた時の、親の吐く息の臭さと、どうしようもない心が感じた寒気を、いまだに思い出す。大人は何も解決しようとせずに、自分の世界を守ることだけに汲々としていると思ったから。

あれは、同じ学年の子らが行った、暴力による抑圧で隷従を強いる行為で、それの片棒を担いでいたのは、親も、先生も同類の同罪。
子供の間の小さな世界と思われていたのなら、今、私はここで、こんな文字を綴ってはいない。
子供のとるに足らない世界だからこそ、人生に影響を与えるんだ。

実際に一方的に暴力をふるわれること。
実際に一方的に蔑みを受けること。
実際に一方的に屈辱的なことを強いられること。

大事なものを奪われること。
大事な時間を奪われること。

私は、高校時代のことを、ほとんど覚えていない。
あまりにも抑圧の印象が強すぎて、他の楽しかったはずの思い出が消え失せた。

おそらく、私の自己肯定感の低さは、そこから来ている。
常に、何かをしていないと、生きる価値が感じられない気がしていて、常に何かに怯えて暮らしている。背後からの暴力と、蔑みに怯えて暮らしている。

そういうことを、今になってようやく気づいたという話。

いじめを黙ってるやつも同罪だ。私も同罪だ。
何年間も、いじめられた側こそ、いじめた側の罪を抱えて生きてしまうんだと、考える。

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