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色弱デザイナーができるまで。

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赤緑色盲の私がのめり込んだデザインの世界
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#色弱デザイナーができるまで

【フリー時代-1】スイーツの常識を変えた(ピュッタンな)天才たちを偲ぶ話。

あの日の回想その仕事に関わっていた皆が、何者にもなれずに、ただ、物を作ることだけの愛情を…

【インハウスデザイナー時代-1】人生最悪の時間が毎日続くとしたら?君は何を思う?

こんな世界!他人を巻き込んで全部壊れちまえ! そんな思いで一日を過ごしていた。 朝、ひん…

【デザイナー修行時代-2】遠い遠い終わりのお話。

先輩が辞めていった。 二人も。 私が追い出したのも同然な辞めさせ方だった。 それを自分のせ…

【色弱デザイナーが出来るまで】Macを実践で使えるようにしよう!仕事を任せてもらえ…

私は、色弱だ。 赤緑色盲と言う。 色をレイアウトに載せる事ができるようになったのは、ひと…

【色弱デザイナーが出来るまで】バブルの崩壊はあれど人は足りない。そんなデザイン会…

以前、面接を受けたデザイン事務所が、また、募集をしていた。 返事をもらってなかったなぁ……

【色弱デザイナーが出来るまで】地方の新聞社、記者になる。

テレビで、日本一のカッ飛び男というふざけた名前のドラマが田原俊彦主演で放送されていた。 …

【色弱デザイナーが出来るまで】商学部卒業生から、食品会社就職。そして逃亡

大学を出た。 熊本の商科大学。 就職は、入れる所に決めた。 売り手市場で、バブルが真っ盛りの時代だった。 会社訪問で、ステーキを無料で食べさせてもらい、交通費無料で京都へ行き、というような就職活動をした。 もてなされていても、何も響かない企業の話。 会社訪問しただけで内定通知がやってきた。 そんな会社を軽蔑しつつも、社会人になる事に強い恐れを抱いていた。 汗だくになって、ハンカチを持たずに出かけてしまい、道に迷い、苛々した役員達の圧力に恐れをなしたことも。 恥ずかしな

【色弱デザイナーができるまで】新卒就活の失敗

就活を失敗して、コンビニでとりあえずバイトした。 年齢は誤摩化した。 まだ、学生とウソを…