108回 無視される怖さ
今日、気付いたことがありました。だから、それを残そうと思い、今これを書いています。
無視されること。これが人(いや、生き物すべてかもしれない)にとって一番つらいことだと、僕は思う。
𝕏をやっていて常に感じていたこと。
もちろん、良い人はいる。ある人の行動1つに着目し、じっくり観察していればその人の良い一面が見えてきて、その人自体が良い人に見えてくる。良い面を見る。常にプラス思考を心掛けることが大事だ。いやいや、今日はそういうことが言いたいんじゃない。その逆。
例えば、僕が渾身の投稿をする。それなりの人が見ている。でも、無視する人がいる。むしろそっち(無視)がほとんど。
コレって、理屈抜きでやっぱり辛いな、と。
わかってます。その人にとってはたいしたことじゃないかもしれないし、忙しくてそれどころじゃない、ってことは。
でも、人の心や気持ちって、本気になれば伝わるって言うじゃないですかぁ。
だから、少しは響いている人がいるはずなんです。でも、無視をする…
僕は小2の時、ある力の強い子にいじめられた。その時は怖くて逆らえなかったけど、小4の頃からはそこそこ仲良しになれた。子供ながらに処世術というのか?なんとなくうまくいきそうな接し方を覚えていったからだと思う。
一方で、小5の時に一瞬だが無視された経験がある。ある強い子の指示で、「無視」攻撃が何人もに及んでいた時期があった。それと混同して自分の体験すら曖昧になってしまっているが、「無視」というのは恐怖でしかないことを覚えている。
どうですか?
言葉の暴力、実際の暴力が辛いのは想像に難くない。でも、例えば周りのすべての人から「無視」をされることを想像してみてください。その日1日は乗り越えたとしても、2日と持たないと思います。
現実、そこまでのことはほぼあり得ません。ただ、「無視」って、それほどまでに人の心を傷付けるということだけは、みんな自覚したほうがいいと思います。
気付かないのは仕方ない。知らないのだから、そこはもうどうしようもない。
でも…
気付いたのに…
知ったのに…
どうせバレることはないから、気付かなかったことにすればいい、そうしておこう、はやめたほうがイイ。
僕が𝕏にのめり込めない理由はそこにある。もちろん、それは𝕏に限ったことではありませんが…
口や言葉では優しいことを言い、立派なこと、正しそうなことも言い、事実そこそこの数字だけは稼いでいて、その人がそれをヨシとして幸せを感じているのなら、それはそれで素晴らしいこと。
皮肉とかじゃなくて、それぞれの事情があるのはわかるし、時間は有限だからというのもわかる。こんな主張をしている僕も「時間大事」派だから。
でも、感情は理屈じゃない。このことは理解しておく必要があるんじゃないの?と思う。
僕は、人間味を隠した正しく見える考え方や行動に愛を感じない。それどころか、どうしても「偽りの愛」を感じてしまう。
共感してくれる人、いるのかな?
その些細な心遣いができる人を僕は好きだし、僕自身はまだまだ不十分だけど、そこを目指したいなと思っています。そして、できれば多くの子供たちに、本当の意味での「優しさ」を常に考えることができる人になってもらいたいなぁと思っています。
あっ、このインスピレーションを与えてくださったのは神様・ニシトアキコさん。
僕が自信を持ってオススメできる数少ない崇拝レベルの発信者です😊
僕の「学び」は誰かの「学び」、僕の「気付き」は誰かの「気付き」、その可能性を信じ、これからも「学び」や「気付き」のヒントを与えられる人になれるよう、前を向いて頑張ります😊
以上、inyaでした。ばいばーい!