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なぜ𠮷野家の吉の字はつちかんむり(「つち+くち」)なのか

吉野家は若い頃、よく利用させていただいておりました。ちょうどデフレ期に学生だったものですから、牛丼がどんどん安くなっていったのです。そりゃあ利用するに決まっています。味も美味しいですしね。

ところで、𠮷野家の看板をみると、吉の字がさむらいかんむり(「さむらい+くち」)ではなくつちかんむり(「つち+くち」)となっていることに気づきました(さむらいかんむり、つちかんむりという言葉があるかは不明ですが、便宜上使用しています)。つちかんむりのほうは環境依存文字であり、サイトによっては表示されない字。なぜ、この字が吉野家の看板に使われているのでしょうか。

吉野家お客様相談室に聞いてみると、以下のような回答をいただきました。

当時屋号は出身地を名乗ることが一般的で創業者の松田栄吉が大阪・吉野町(吉は土かんむりに口)から上京したため、吉野家(吉は土かんむりに口)と名付けました。

吉野家の吉を会社設立の際、吉は土かんむりに口で登記をしておりますので、現在もこちらの文字を使用しております。

ということで、大阪にある吉野町の地名から、この字を取ったようです。

吉野町とは、大阪市福島区にある地名。大阪環状線「野田駅」が最寄のようです。しかし、現在の地名を調べると、吉の字はさむらいかんむりとなっています。

大阪市立中央図書館のレファレンスサービスを利用してみると、以下の資料でつちかんむりとなっているようです。

1912年『大阪地図 -実測-』(昇竜堂)

一方、以下の資料ではさむらいかんむりが使われています。

1901年『大阪市統計書 第1回 明治32年』(大阪市役所/編)

ということで、公式資料上ではつちかんむりのほうも、さむらいかんむりのほうも存在することがわかり、両者は混在しているようです。

では、一般社会ではどちらのほうが多く書かれていたのでしょうか。

蒲郡市立図書館のレファレンスサービス(「レファレンス協同データベース」参照)によれば、以下の通りです。

(同図書館の資料では)活字にした際に吉になり、以降、印刷・出版されたものは吉が多めか。手書きの人名は「士の下が長い吉」が多めか。

「吉」(さむらいよし)と、「士の下が長い吉」(つちよし)、江戸時代の人名ではどちらが多く使われていた_レファレンス協同データベース

蒲郡市立図書館貯蔵の資料に限ったことですが、手書きの人名はつちかんむりの吉のほうが多いようです。

松田栄吉が吉野家を創業したのは1899年(参考)。その頃は、一般社会ではつちかんむりさむらいかんむりも混在していたものと考えられます。そのような状況で、松田氏が吉の字をつちかんむりで書いていてもおかしくありません(現にこの頃は、漢字の形状に"揺らぎ"があった)。ゆえに、𠮷野家の「吉」の字はつちかんむりのほうになったのだと思われます。

ちなみに戦後の1946年に告示された当用漢字表には、さむらいかんむりのほうが掲載されていました。その当用漢字表を内閣総理大臣の名で官報に掲載されたわけですが、その時の総理大臣であった吉田茂の吉の字はつちかんむりだったそうです。その後、吉田総理(当時)は当用漢字字体表を発表することになりますが、その際に官報に掲載する自分の「吉田」の姓をさむらいかんむりの「吉」に変えて掲載したとのこと。当用漢字表の公布は、一国の総理大臣の名字をも変えたのですね(これについては、詳しくはこちらの記事をご覧ください)。

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