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Twitter凍結から学んだ意識(投資番外編)

私は子供の写真の
配慮不足で2022/10/24に凍結され
9800人ものフォロワーを
失いました

(細かい経緯はこちらのツイートを拝見ください)

反省し前に進み始めましたが
正直心にズンときますし
何か参考になればと
積み上げてきた
移住やFIRE、投資のツイも
全て失い
SNSはとても儚なく
日々の思いや思い出を
残すことの
意味をあらためて
考えさせられました

私は自分でいうのも
なんですが
真面目人間で
何か物事を始める時
意味を考え
それに価値を持てなければ
何も始めることができません

当初、Twitterというものが
ただ日々に適当に
時間が空いた時に
適当につぶやくものである
と考えた時
私はTwitterはしないと
決めていました
匿名の中で
適当に呟く事を
誰かに見てもらうことに
意味を見出せなかったからです
他の方は意味を見出せても
私には難しいのです

意見には
ちゃんと自分自身の
意志と覚悟を持つべきだ
私は元柔道部というのも
あるのか体育系の
ゴリゴリで頑固です
その為、実名で
自分自身の言葉でならと
Twitterを始めました

当初は投資に対して思うこと
その成長を発信していましたが
少しずつ
移住やFIREや子供の成長など
私自身と周りに起きていく
人生の様々なことを
発信することに
意味があることに気付きました

実は多くの人が
同じ夢や目的を持ち
参考にしたり
共感したりしてくれている
人たちがいる
きっとその人達の中には
身の回りには参考になる人が
いなかったり
人には言えない中で
思いを馳せている
まだ若い人たちもたくさん
いるだろう

その参考になるとしたら
実名で実物で語ることは
とても重要な生き字引に
なるんじゃないか
自分自身にもそんな人がいれば
もっと前向きに生きられた
かもしれない
リスクを減らせたかもしれない
そんなと思いもあり
続けていましたが

長く続けていて
もう一つ大事な役割に
気づきました
それは私の死についてです

現代では親が子供に
パーソナルな部分を
伝え残せる場所は
そんなに多くありません
その人が映った
写真や動画、手紙や遺言
遺骨、お墓など

しかし文字で気持ちを表し
その人自身の
その時その時の温度を
感じられるものは
SNSだけではないかと
思ったのです

死は誰しも訪れます
私が数年後、突如として
亡くなった時
きっと妻や子供も
私のSNSをみて
私の人間性を
感じたり
自分達が愛されていたことや
その時にパパは
どんな思いでいたのか
きっと感じてくれるだろう
それにはとても
意味があるなと思いました

それが今回消えたことで
私は絶望感を感じ
今後続ける意味すらも
ないように思いました

悩み私は友達に相談して
私の感情に対する
意見を聞きました

過去からなぞっても
ブログやSNSなど
プラットフォーム依存
するものは無くなってきた事
今後もそれは同じであること
今回の凍結だけでなく
突如として
存在がなくなる現実を
教えてもらいました

わかってはいても
心のどこかで
継続してSNSが
残ることを
期待しすぎて
しまっていたのかもしれない
そして私のように
重く考え
継続している人が
とても少ないことも
実感しました

しかし実態として現代では
日々の温度感を感じられ
手軽に思い出や共感を
積み上げるには
SNSが一番向いているとも
思います
いつか永久に確実に
残せるものが
この先ででてくるまでは
これが最適なのだろうと
思っています

なので私はこれから
定期的にバックアップをとり
また別のSNSなど
媒体にバックアップの
意味も含めて
うまく組み合わせて行くことを
決め
このnoteやインスタとあわせて
Twitterを再開しました

SNSは始めて
日々使って行くと
それだけでとても
時間を割きます
何のためにしてるんだろうか
それよりも現実の時間を
大事にすべきではないか
色んな思いの中で
辞める方も継続
されている方もいると思います

長い時間をかけ
積み上げ失った
40過ぎのおっさんの
このツイが
あなたのSNSに対しての
何かの参考とになれば
嬉しいなと思います🙏✨

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