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ジンバブエつながりの仲間に会う

 私は1990年代終わりに、外務省本省とジンバブエ大使館に約3年半勤務した。当時、大使館には、若手研究者が研究と実務を行う歴代のポストがあった。私はそのポストで仕事をしたわけだが、その後輩が、SNSを通じて地道にアフリカ関係について発信し続けていてくれたお陰で、今回、初めて千駄木でリアルに会うことができた。不思議な感覚だった。

 20年以上前のアフリカを語る。ジンバブエの空気や匂いを思い出すのに、少し時間がかかった。というのも、私はジンバブエでの任期を終えた後、何のつながりもないアメリカに移り住んだ。当時は淋しくて、必死にジンバブエ、南部アフリカ、それでも駄目なら東部アフリカと、ゆかりのある人を探した。でも、ロンドンと違い、ワシントンDCは西アフリカの人がほとんどで、残念ながら南部アフリカ出身の人を見かけることはなかった。顔つきや肌の色、骨格でわかるのだ。西アフリカの人に南部アフリカの話をしても、親近感を抱いてはくれない。私に、ブータンやカザフスタンの話をされても、ピンと来ないのと同じだ。そうこうするうちに子育てに夢中になり、アメリカでの経験が上書きされて、アフリカでの日々は風化していった。

 他方、彼女は大学時代からずっとアフリカを追いかけて、今も、南アの作家が書いた文学作品の翻訳出版を目指して頑張っている。昔の私は、アフリカ文学まで思いが行かなかった。ジンバブエの政治経済の大きなうねりの真っ只中にいて、目の前で起こる事象をおいかけるのに必死だったからだ。だから、その土地に暮らす人々の息づかいや心の機微まで理解できたとは思えない。

 でも待てよ。アフリカ本土とは離れたが、アメリカに暮らしていた頃、別の角度と立場からアフリカの歴史を学び、考えていたことも事実だ。娘の宿題に付き合いながら、そして公立高校臨時教員の仕事でも、アフリカン・アメリカンをテーマにした小説を読んだものだ。また、高校の職場では、アラバマ州で苦労しながら子供を育て上げ、そして今はメリーランド州に暮らし、アフリカン・アメリカンのコミュニティに関するテーマで博士論文を書いていた、アフリカン・アメリカンの60代の同僚もいた。教育現場でアフリカン・アメリカンが抱える問題も見つめた。

 世界を一周回って日本に帰って来た今、もう一度、全ての経験をひっくるめて、アフリカの小説を読んでみたら面白いのではないか。何かを感じ、その先に新しい世界が見えてくるのではないか。千駄木のカフェで彼女と話をして、そう思ったのである。

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