【雑記】身動きが取れなくなって...

無に至ろうとして身動きが取れなくなる。全てに意味がないのならどうしようもないではないか。ニヒリズム。仏教の空想。無門関をみればわかるが、有無の無ではないのだ。だとしても難しい。禅の境地は二重の見。空と本質を同時に見るのだ。平等即差別。

白隠への正受老人の言葉

「この穴倉禅坊(あなぐらぜんぼう)め」(鬼窟裏の死禅和め)

「鬼窟裏(きくつり)」とは“死人の住処”という意味で、差別の中心にある自我を空じて平等の境地に出たのはよいが、そこにとどまって身動きがとれぬ、禅者として真の働きがないという批判の語であり、「死禅和(しぜんな)」は“死人のように何の働きもない”禅和子(ぜんなす;禅坊主)“という罵倒の語である。

秋月龍珉『白隠禅師』

野狐禅ならぬよう。

そんな時は中間計画。極ではなく中庸を決定してしまおう。

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