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『彫刻的思想録:自分のカタチ』

はじめに

人の形の変化の向きが異なるのに気づいたのは2020年の夏だった。なりたい人物像について友人と語り合っている時、自身と友人の向きの違いに気づいたのだ。

友人はなりたい理想像が外向きに浮かびあがっている。こんな人物になりたい、だからそのために自分をそれに近づける行動をしているのだ。例えばモデルになるために理想の体型に近づけたり、インフルエンサーになるためにトレンドとなるファッションをいち早くキャッチすることなどはそれに該当するのだろう。

そして私はなりたい人物像が内向きにあった。つまりすでになりたい像というものは、肉体・精神に内在しており、その形を見い出すために行動するのである。

In every block of marble I see a statue as plain as though it stood before me, shaped and perfect in attitude and action. I have only to hew away the rough walls that imprison the lovely apparition to reveal it to the other eyes as mine see it.  - Michelangelo

ミケランジェロの「大理石は完璧な姿をすでに持っており、わたしはそれを削り取ることで閉じ込められた天使を目に見えるようにするのである」という言葉はまさに内在する自分を彫り出すことと同義に思える。(1)

彫刻家がノミで石を削るように、私は自分に問うことでその姿を明らかにしようと試みるのである。私は物事に何を思うのか、そして何を望むのか、日々何を思い、どう感じるのか、などだ。

考えてみると科学もそのようなものである。世界を形成する原理・法則を解き明かすべく、実験結果や理論的な推論からカタチを明らかにしようとしているのだから。

これらを踏まえ、私は日々考えていることをカタチとして残すことに決めた。「彫刻的思想録」の目的は様々な切り口から自身の考えを明らかにし、積み上げることにある。それらがたどり着く先は、何にも脅かされない完全なる「自分のカタチ」である。このオリジナリティとも言える自分が見つかった時、私は私という確固たるフィルターから物事を生み出すことができると考えたわけだ。

考えや価値観が外から影響されるのは真であろう。しかしながらその判断基準、つまり感性は内だと考える。なぜなら自身の環境、身体的特徴、生活など他人と被らない領域はいくつもあり、それらの積み上げが為すものは感性として深く根ざすと思うからだ。この仮説のもと、自身の思考を切り取り「自分のカタチ」に迫っていきたい。

そして願わくば、そのカタチを探るプロセスやそのカタチ自身が他者の役に立つことを望む。ある自身の考え方を探る時や自身の考えの根底に私のカタチを重ね合わせた時など、他者が自分のカタチを見出すきっかけになれば幸いである。

多くの人間とともに、自分が何者であるかの解となる「自分のカタチ」を見出せたらと願う。(2020/12/12)

記事一覧

#1「名言との向き合い方」

#2「シンプルイズベストとは何か?」

#3「科学的に考えるとは」

#4「なぜ感謝するのか。恩とは何か。」

#5「勉強と学習は違う。"Study" は研究であるべき。」

#6「問題を解くのはインプット。設定ができてアウトプットと言える。」

#7「尊敬と崇拝は違う。パイオニアや創設者。教育機関が舐められるわけ。」

#8「敵や嫌いな人はあり続けるがイジメはなくなる。」

#9「知識と知恵の違い。Data が Information になる時。」

注釈

(1) 引用したミケランジェロの名言は、その出典が明らかにされていない。一説によると、ミケランジェロたる者ならこう考えるだろうとした他人の文章からきたとした見方もある。引用先は以下である。

・Michelangelo Gallery『Famous Michelangelo Quotes』

・Quote Investigator 『You Just Chip Away Everything That Doesn’t Look Like David』

・Yahoo ! JAPAN 知恵袋『ミケランジェロの言葉として、大意「石の塊に埋まっている彫刻を取りだす」...』


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