僕は自転車で旅をする13
ぼくは次の日から何日か幼稚園に行くのを嫌がった。
嫌がったけど、父や母が、ちょっとだけ、覗いて来ようとか、オトモダチと遊んで来よう、とか、今日は折り紙とか、なんか作るイベントがあったんじゃないか、とか、ぼくが幼稚園に行きたくなるだろうと彼らが考えることを並べて気を引こうとするので、そんなにぼくのことを幼稚園に行かせたいなら、我慢して行くよ、って気持ちで、足を引きずるようにぼくは幼稚園に行った。
母は、ぼくが登園したくなさそうだ、と、担任の先生に相談して、先生は、園に慣れるまでに、浮き沈みはありますから、みたいな答えを返していた。ぼくがフツウじゃないって〈みんな〉が知ってることを先生は母に言わなかった。言わなくても、先生も知ってるし、きっととっくに母も知ってるんだろう。それが当たり前なのかな。でも、ぼくがぼくはフツウじゃないって知ったのは、この間、幼稚園でなんだよ。だから、ぼくは幼稚園に行きたくないんだ。
みんながぼくをフツウじゃないってわかってて、ぼくもそのことを知ってて、ぼくは、苦しい。
しょぼくれてるぼくを先生の手に預けて、行ってらっしゃい、頑張って、と、しゃがんで母はグゥにした両手を見せた。
夕方、父が帰ってくてからの仕事は明日香とぼくをお風呂に入れること。明日香を先にお風呂から待ち受けてる母が広げたタオルに包み込んでもらうと、湯船に、ぼくと父二人になった。
「コウタくん、幼稚園はどうですか?」と、父は見えないマイクをぼくに差し出した。
ぼくがうまく答えられずにいると、
「コウタくんは、幼稚園が嫌い?」と、父が続けた。
嫌い。そう思って、ぼくは頷く。
「どうしてかな?お友達と喧嘩した?」
父は幼稚園でぼくにオトモダチなんていないことを知らないんだろうか?
「遊び時間に、お友達と仲良く遊んでますよ、って、ママが先生に教えてもらってたよ。」
それは遊んでるんじゃなくて、構われてるだけなんだ。ぼくはまだ幼稚園で誰とも遊んだりしていない。でも、喧嘩もしていない。だから、答えはいいえ、だから、「してない。」と答える。
「じゃあ幼稚園のどこに行きたくないなあ、っていうところがあるのかな。先生がママよりかわいくないからかな?」と、父が笑わせにかかる。
ぼくもちょっと笑って「違うよ。」って言う。
「パパにさあ、幼稚園のイヤなとこ、教えてくれないかな?言えるかな?」
父はこうして、考えをまとめるのが苦手なぼくに、自分が掴みたい言葉を探せるように、時間をかけて語りかけてくれる。だから、ようやくぼくは「幼稚園じゃない。」って言うことができた。
ふううん、と父はそうなんだ、と頷きながら、でも、なにかがイヤなんでしょ、と、聞く。
「コウタ」とぼくが言う。
「コウタって、このコウタ?」と、父がぼくのお腹をツンツンする。
ぼくは、少し身を捩りながら、うん、と答える。「コウタがどうしたの?コウタはコウタでしょ?」
「コウタは、フツウじゃないから」
ぼくがそう言ったので、それまでちょっと陽気な雰囲気を出していた父に少し影が降りたみたいだった。
「そっか」と、父は言った。父はこの時、ぼくから初めて2語文を聞いた。しかもそれがそんな言葉だったから、すごく切ない気持ちになったらしい。
「フツウってさ、なんか難しいよね。」と、父が言った。「でも、コウタはコウタでいいじゃない。」
いいんだろうか。いや、良くない。とぼくは思った。ぼくはフツウがいい。
「あのさ、コウタ、パパってウルトラマンになれないじゃない?」
急に父はそんなことを言い出す。
なれない。うん。
「だから、ウルトラマンになるのはぜーんぶやめた、って言うのもありかもしれないけど、ちょっと、ウルトラマンに近づくって言うのもありだよね?」
わからない。近づく。
「大っきくなるとかさ、ビームは出ないけど、困った人を助ける、とか、助けたい、と思うとか。みんなを幸せにしたい、とか。みんな、が、難しいなら、身近な人を幸せにしたいとか。」
「あちゅか」
「そっか、真っ先に明日香を幸せにしたいか。いいお兄ちゃんだなあ、コウタ。今ので、パパも幸せになったぞ。」
「ママ」
「そうだね。ママも幸せにしたい。パパも、ママとコウタと明日香を幸せにするぞー。」
パパはそう言いながらぼくをくすぐって笑わせた。
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