CHAGE and ASKA「On Your Mark」30周年レビュー前編 ~君たちはどう沁みるか~
今月、CHAGE and ASKAの名曲「On Your Mark」が発売30周年を迎えた。
「HEART/NATURAL/On Your Mark」というデビュー15周年トリプルA面シングルとしてミリオンセラーを記録。ジブリが制作したMV『On Your Mark』はジブリ最高傑作映画との呼び声も高い。
ジブリの『On Your Mark』が有名なため、このMV映画をメインで語る数多くのレビューが存在する。
しかし、私が物足りなさを感じるのは、ジブリの『On Your Mark』をメインにしたレビューは、CHAGE and ASKAの「On Your Mark」を軽視しがちなところだ。
J-POPの王道を行くラブソングというイメージで書かれている場合が多い。
発売30周年を迎えた今、そろそろCHAGE and ASKAの「On Your Mark」をメインに据え、ジブリを脇役に追いやったレビューをしてみたくなった。
「On Your Mark」は、イントロが変ホ長調の荘厳な雰囲気から始まる。長調とはいえ、さほど明るくは感じず、どちらかといえば哀愁や苦悩も含有している。
編曲を手掛けるのは、イントロを作らせれば日本で右に出る者がいない澤近泰輔。
ASKAの切ないスキャットとそれに続く掛け声のような歌唱「On Your Mark(位置について)」とともに、なかなかうまくいかない人生を演奏で描き上げる。
ドイツの音楽家ヨハン・マッテゾンは、この変ホ長調を「非常に悲愴な感じを具えている。真面目で、しかも訴えかけるような性質を持つ」と評している。
この楽曲のイントロも、真面目に生きては、つまずきを繰り返し、それでも前に進まなければならない人生が浮き彫りになってくる。
このイントロの特徴は、それだけではない。何とイントロの途中で鮮やかに転調してしまうのだ。
ASKAの「On Your Mark」という掛け声のような歌唱の後、変ホ長調から嬰ヘ長調に転調して、後半のイントロが始まる。
嬰ヘ長調という聴き慣れない複雑な調がこの楽曲のAメロとBメロを構成する。イントロもそうなのだが、この楽曲は分数コードを駆使ししながらJ-POPとして聴き心地の良い旋律を刻んで成り立たせる、極めて異質な楽曲だ。
イントロの後半は、イントロの前半とは打って変わって、リズムに乗って力強さと明るさを増し、未来への希望が見え始めるような旋律になる。
その流れで歌が始まる。
注目すべきは、歌い出しの「そして」である。
その前に歌詞がないのに接続詞「そして」を使っているのだ。
一体、どういった事柄に続いての「そして」なのか?
その謎の答えは、やはりイントロにあるだろう。
主人公たちは、おそらくイントロの前半で、既に夢への挑戦をして挫折し、苦悩にあえいだ後、イントロの後半で気持ちを立て直して再スタートを切ろうとしている。
それに続く「そして」なのだ。
主人公たちは「いつもの」笑顔と姿で前に進もうとする。
挫折していたのに「いつもの」とは何だろうか?挫折していたら、いつも笑顔なはずがない。
これは、おそらく主人公たちがこれまでに何度も挫折を味わい、そのたびに気持ちを立て直しては、笑顔で再起を図ろうとしてきた経緯が「いつもの」で表現したのだろう。
そして、さらに注目すべきは、比喩の多用により、楽曲のストーリーが硬直化せず、無限の広がりを見せていることである。
「埃にまみれた服」「落ちて行くコイン」は、文字通りの意味ではない。
夢に挑戦してぶつかってははじき返されてボロボロになった姿を「埃にまみれた服」と表現したのだろう。
「落ちて行くコイン」は、夢のためにつぎ込む金銭もあるだろうが、費やす労力や時間も含めているように思う。二度と帰ってこないからだ。
そこから、明るい希望を語るBメロに映る。
ここに来て主人公たちが2人であることが明かされる。
「君」とはどういった関係かは描かれることなく、聴衆の想像に任される。
人によっては、恋人であったり、親友であったり、配偶者や親族、同僚など、様々だろう。
「夜明けを追い抜いてみたい 自転車」は、またしても比喩である。
「夜明け」という言葉自体が本来の意味に加えて、「新しい物事の始まり」という比喩としての意味を持っている。
「自転車」とは、自分の足で走るよりも速い速度で、という比喩がこもっているように感じられ、2人で力を合わせて、足で走るよりも速い速度で夢にたどり着いてみたい、いう願いの比喩だろうか。
このBメロのシーンは、楽曲発売の翌年にジブリが制作した映画『耳をすませば』で、主人公の月島雫と天沢聖司が夜明けに自転車に2人乗りして、高台へ夜明けの景色を眺めに行くシーンの元になっているという説がある。MV映画『On Your Mark』と一緒に公開された映画だけに、ジブリがこの楽曲から大きな影響を受けてオマージュとして描いたのかもしれない。
サビに入ると、またも転調して、イ長調になる。
マッテゾンは、この調を「輝かしくはあるが、非常に攻撃的」「気晴らしよりは、嘆き悲しむような情念の表現に向いている」と評した。
だからだろうか。このサビは、純粋な希望と思い通りにならない落胆という両極を併せ持つ。
サビの前半は、「位置について」で始まりながらも、どんどん右肩下がりになっていくメロディーで、夢への挑戦につまずく姿が描かれる。
「流行の風邪」とは、新たな夢への挑戦を始めると、流行のようにつきまとってくる邪悪な批判や逆風を描いているのだろう。
この「流行の風邪」が2020年には比喩を超えてコロナ禍として現実そのものとなってしまった、まさかの出来事には驚いたが……。
MV映画『On Your Mark』の地上シーンが東日本大震災に伴う原発事故で現実そのものとなったように、楽曲「On Your Mark」に描かれるサビが現実そのものになるとは、どちらも芸術界の奇跡的な最高傑作である。
サビの後半では、再び「位置について」のシーンから今度はあきらめずに再び挑戦する右肩上がりのメロディーが描かれる。
「夢の斜面」は、もちろん比喩である。夢を崖だらけの斜面を持つ険しい山にたとえ、それでも登頂できそうだから、何度も登ろうと挑戦するのだ、という決意を表明するのである。
以上、CHAGE and ASKAの名曲のイントロから1番の終わりまでをレビューしてみた。
世間では宮崎駿監督が作り上げたMV映画『On Your Mark』に高い評価が集中する。だが、そもそもは、楽曲「On Your Mark」が緻密で繊細な芸術作品であったからこそ、それにインスピレーションを受けた宮崎駿監督が最高傑作に仕上げられた、という側面を堪能してもらいたい。
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