ファンサービスをしない監督 落合博満は野球ファンに何を与えたのか 第55章
監督落合が最も高く評価した新人 大島洋平
2023年8月26日、大島洋平が通算2000本安打を達成した。
プロ14年目でのスピード達成である。
大島がドラフトで指名されたのは、落合が監督を務めていた2009年オフである。
当時、2007年に日本一になった外野のレギュラーは、全員いなくなっていた。
ライト:福留孝介、センター:李炳圭、レフト:森野将彦
福留は既に大リーグへ移籍しており、李は自由契約が決まっていて、森野は既にサードへ再転向していた。
レフトは、2008年から和田一浩がレギュラーとなっていたが、センターとライトは、レギュラーと呼べる存在がいなかった。
そのため、中日は、即戦力となる外野手を求めてドラフト4位で東京農業大の松井佑介、ドラフト5位で日本生命の大島を指名している。
これにより、センターとライトのレギュラーは、藤井敦志、野本圭、セサル、小池正晃、松井佑介、大島の6人で争う熾烈な状況となった。
この6人をキャンプ、オープン戦で見てきた落合は、こんな発言をしている。
「守備も、打撃も、大島が頭1つ抜けている」
私は、この発言には驚かされた。何せ最も評価が低くて当然のドラフト5位入団、背番号32の新人である。
だが、落合は、私のような先入観で選手を見ない。
常に自らの目で選手をじっくりと見極めて判断を下す。
落合は、新人としてドラフト5位で入ってきた大島の実力を、開幕戦の前に早くも見抜いていたのである。
2010年の開幕戦のスタメンに名を連ねたのは、ライト野本圭、そして、センターが大島だった。
落合が監督8年間で、開幕戦スタメンに新人を抜擢したのは、わずか2回。
2006年の藤井敦志と、2010年の大島だけである。
大島は、開幕戦こそ、その年投手三冠を達成する前田健太に抑えられたものの、翌日にはプロ初安打を放つ。
3試合目からはスタメンを外れる試合が多くなるが、代打で安打を放ったり、守備固めで出場して存在感を示す。
しかし、4月10日の巨人戦で無安打に終わり、打率が1割台に落ちた大島に、落合は、巨人3連戦の後の4月12日、2軍降格を言い渡す。
ちょうど、初めての経験であるキャンプ、オープン戦が終わり、そして、開幕からの全5球団との対戦が終わった絶妙のタイミングだった。
その真意が2023年8月27日の中日スポーツに掲載されていた。
新人ながら、落合に類稀な守備と打撃の才能を認められ、休養とコンディションの再調整という13日間を与えられた大島は、2010年4月25日に1軍へ復帰すると、即センターでスタメン出場し、3安打を放つ活躍で一気に打率を.269に上げた。
その後の活躍は、もはや語る必要がないだろう。大島は、天才的なバットコントロールと鉄壁の守備で、センターのレギュラーと呼べるほどの存在となっていく。
2010年は、当時のセンター・ライトの6人の中で最多の104試合に出場して374打席立ち、打率.258、81安打、8盗塁の活躍を見せてリーグ優勝に貢献。その年の日本シリーズでは優秀選手賞に輝いたのである。
落合は、翌2011年の開幕戦も大島をセンターのスタメンで起用。
落合退任後の2012年には打率.310、32盗塁で盗塁王も獲得し、落合から指摘されていた体力面も年々強化して、安定した成績を残し続ける。
落合退任後も毎年開幕スタメンに名を連ねた大島は、新人のときから14年連続開幕スタメン出場という驚異の記録を継続し続けている。
監督落合が最も高く評価した新人大島は、ついに名球会に名を連ねる選手となった。
当時、大島が2000本安打を達成すると想像した者は、(落合が想像していなければ)誰もいなかったと思うが、2010年の出来事を振り返れば、今の結果はきっと必然だったのだ。
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