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「弱いジェフの象徴」佐藤勇人が一番好きな選手だった

不器用な選手である。

小気味よくボールを操るタイプのボランチではない。とにかく動き回り、どこにでも顔を出す。ボールを狩ったと思ったらゴール前にいる。攻撃でも守備でも停滞しがちなジェフというチームにおいて、推進力を生み出す彼のような存在は貴重だった。

ジェフがJ2に降格して、つまり勇人がジェフに復帰してから、キャプテンを任せられること4度。キャプテンとしても不器用で、「背中で語る」タイプだ。


と、noteの冒頭抜粋を意識してNumber文学っぽい導入にしてみました。いかがでしょうか。いぬゆなです。

実は僕、佐藤勇人が一番好きな選手なのです。ブログではいろんな選手のこと書いてましたけど、勇人のことは引退するときに書こうと決めてました。

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佐藤勇人を好きになったきっかけは、僕がジェフユナイテッド市原・千葉のサポーターになったきっかけとイコールなのです。

佐藤勇人を好きになったきっかけ

2010年11月20日土曜日 J2リーグ第35節 フクダ電子アリーナでのギラヴァンツ北九州戦。

この年の第30節同じくホームでの水戸ホーリーホック戦で初めてフクアリを訪れた僕は、まだ「サポーター」と言える存在ではありませんでした。フクアリっていう素晴らしいスタジアム(アクセス良い駅チカで声援が屋根に反響すごい最強スタジアム)で楽しくサッカー観て、できればジェフ勝てば嬉しいね、くらいのマインド。

それが、この試合で「サポーター」になったんですね。自分がサポーターになった瞬間って意識してる人のほうが少ないと思うんですが、僕は幸運にも明確で、映像にも残ってます。それがこの瞬間です

後半45分+当時の表記は"ロスタイム"3分。この試合を引き分けてしまうと、昇格圏内である3位アビスパ福岡との勝ち点差は残り3試合で"7"。それを"5"に縮めるゴールを決めたのが佐藤勇人でした。

結局ジェフは次のアウェイザスパ草津戦で負け、J1昇格はならず。福岡も残り試合負けなかったのでジェフが連勝していても昇格はできなかったわけですが、この勇人のゴールはものすごく嬉しかった。残り3試合、勝ち点7差と5差では大違いですから。試合終了直前、キャプテンのダイナミックなゴールで勝利というシチュエーションも最高でした。(あれ、2017年の最終節もそんなことがあったような気がするな……)

ということで、2010年11月20日の21時25分くらいに僕はジェフサポーターになったわけです。インターネットフーリガン誕生の瞬間です。おめでとうございます。

「弱いジェフの象徴」、佐藤勇人

勇人をディスるわけではありませんが、2010年からのJ2生活、ずっと在籍しているのは勇人だけ。彼の選手のレベルがどうこうということではなく、「上がれないジェフ」にずっといたのはもう彼だけなんです。

そしてここ数年は"チーム状態が悪いとき、苦しいときに出場する選手"というイメージが定着しました。ただ、出てくれば必ず流れを変えてくれるという期待感はある。だから「弱いジェフの象徴」ではあるんだけど、みんな彼のことが好きなのです。(多分稼働率に対して年俸高いからそこはなんとかしてくれよと思いつつ)

もちろん勇人はオシム時代の「強いジェフの象徴」でもあるんですよね。でもその頃は巻、阿部、羽生などもいた。苦しいJ2降格後をずっと一緒に過ごしてきた、サポーターにとって特別な存在が佐藤勇人なのです。

不器用な男、佐藤勇人

数年前からのジェフサポなら名前は覚えてるかもしれない佐藤勇人プロデュースのケアラボ。現役選手がスタジアム・クラブハウスの最寄り駅に、サポーターも地域住民もクラブ関係者も使えるボディケア施設をオープンするというのは、街・クラブ・選手の関係性として一つの理想形であります。

が、おそらくスタジアムの逆側に店を構えたことで経営的に厳しい状態となり早々に閉店。移転先を探す(多分スタジアム側に)とのことでしたが3年経つ今も音沙汰なし。ケアラボの経営をケアしてくれ。つーかフクアリ側じゃなきゃ出しちゃダメだろ、店。

ケアラボのことを最初に持ってきたのは個人的には超トピックスだったからですが普通の人は全然覚えてないようなことだったかもしれません。謝罪します。

勇人の有名な不器用エピソードはみんなのごはんの伝説的連載記事で網羅サれてる気がします(ぐるなびのオウンドメディアなのに食事の話ほぼ出てこない)

話も下手です。2018年、過去最低成績を更新したシーズンのセレモニー挨拶なんてとんでもない雰囲気だったわけですけども、その雰囲気に飲まれてるわけではなく普通にそのへんのあんちゃんみたいな喋り方です。


引退会見でも「京都に2年間お世話になりましたけど、18年間ジェフのエンブレムを背負って戦えたことが誇りです」とか言っちゃうわけです。これも京都サンガディスではないですが、そんなん黙ってればいいじゃないですか。「ほぼすべてのキャリアをジェフで戦えたことが誇りです」でいいじゃないですか。でもそうは言わないわけです。

2008年の奇跡の残留、佐藤勇人の姿は千葉にはありませんでした。2009年当時のJ1最低勝ち点記録での降格時もそうでした。そのまま京都に残っていれば、選手としてのキャリアは全く違うものになったはずです。タラレバの話ですが、J1で300試合、400試合出場できた可能性のある選手です。

去年までの出場数は、J1で220試合出場、J2で221試合出場。J2での出場は、もちろん全て2010年にジェフに戻ってきてからの数字。今年ジェフが昇格を決めて、来季以降J1で何試合か出て、J2での出場数<J1での出場数にして引退できれば美しいストーリーだったかもしれません。しかし、それも実現しなかった。

佐藤勇人は「得点力のあるボランチ」というイメージもありますが、リーグ戦での得点は2013年を境に途絶えています。出場試合数の減少もありますが、おそらく前線に顔を出せる頻度が減っている。また、出場時ジェフが苦境に立たされている・劣勢の割合が高く、勇人が攻撃に参加するようなシチュエーションではないことが増えた。あのクレイジーハイライン時代なんか、1点くらい獲っててもおかしくなかったんですが。

そんな勇人の不器用さをジェフというクラブの不器用さに重ねてしまうわけです。良い施策があってもなぜか単年で終わる、なぜか年々上昇し続けている勝ち点1獲得に必要な人件費、(もちろんクラブスタッフの努力があるのでしょうが)成績は下降しているのになぜか増え続けるスポンサー収入、ガイドラインなど存在しなさそうな文体の乱れを見せ続ける公式SNSなど、とにかく不器用なクラブ。そして不器用なキャプテン

勇人は僕にとっての永遠のヒーローであり、サポーターになってからのジェフの象徴でした。選手として引退してからもずっとジェフに関わってくれることを祈ります。(関わらなくなるようになったとしたらそれは勇人じゃなくてクラブが原因になるであろうことが高確率で想像できるのもまたジェフというクラブなのでした)

とりあえず残り6試合、背番号7の勇姿を目に焼き付けようと思います。

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