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結婚失敗!(1)

これまで


先日、結婚に失敗した。婚約破棄したわけではない。
2022年7月には婚姻届を用意し、十年来の友人に証人として名前を書いてもらったりして準備を進めてきた。

偽装結婚を試みたわけでもない。ここ東京に確かに暮らしがある。共にどちらのものともつかない形で2匹犬を飼っている。車を共同購入して所有している。二人の銀行口座を持ち家計を一つにしている。病気になれば看病し、互いの親に何かあればサポートする。3年前に戸建を購入し新居を構えたときは二人で周囲の家々に挨拶に回った。ごはんを一緒に作って、食べて、また作って、食べる。東京に何百万とあるであろう人と人が住む暮らしの中の一つ、特に何の変哲もない暮らしは6年目に差し掛かった。

これでいいと思っていた。このままの暮らしがずっと続けばそれでいいと思っていたけれど、ここ最近、このままでいいのか?という想いでぐるぐる考えを巡らせるようになった。

不受理

2022年8月3日、気温は30度を超え、茹だるような暑さの中区役所に向かった。戸籍課で婚姻届を出す。「おめでとうございます」と言われる。若い窓口の担当者があっという顔をして「少々お待ち下さい」と後ろの上司に相談しに行く。待つこと1時間。管理職っぽい職員さんが出てきて、「婚姻届の返戻について」という紙を渡しながら「申し訳ありませんが不受理となります。」と一言。さすが東京を誇る人口を抱える区の窓口である。結構待たせる割には事務的にささっと婚姻届は不受理になり、ケッコンは失敗に終わった。わかっちゃいたけど、私たちの積み重ねてきた暮らしはまるで無かったようにあっさりと。1898年明治時代に婚姻制度ができてから今まで、涙を飲んで不受理となった名もなき人々の仲間入りを果たした。(もしくは奥歯をぐぎぎぎと噛みしめて婚姻届を提出しなかった人もその後ろにどれだけいるだろう)この後も今まで通り、私が明日死んだらパートナーは病院で面会できないかもしれない、親族に与えられる相続権も無く、私名義の家も所有できるかわからない状況が続く。

女性同士を当事者とする本届出は不適法であるから、不受理処分とする。

多くの人には言っていなかったけれども、私は同性のパートナーがいて、地域の人や関係のある人たちからは「シェアハウスをしている友人」と思われている。私は「基本はクローズド(カミングアウトしない人のこと)で、結構な長い時間をかけて考えて、大丈夫そうなら伝える」スタイルの人。パートナーは「家族とLGBTコミュニティ以外ほぼ全ての人に対してクローズド」な人のため、私たちがこういう状態で暮らしを続けてきたことは自然な流れだったし「他者からの承認が無くとも生活があればそれで幸せ」という考えを何年もの間共有していた。
ちなみに職場では「5年以上プロポーズしてくれない、家事が得意でマメな彼氏と付き合っている」と思われている。

"自己検閲"について考えること

この文章を書いたのは、婚姻届が不受理になったことやカミングアウトすることを事細かに書きたいからではなく、なぜ20年くらいクローズドでいたのに今この段階でこういう選択をしたのかを記録しておきたいからだと思う。

「なぜ不受理になるとわかっているのに提出したのか?」を説明するために、少し話を寄り道したい。私は今年、1年半の過酷な仕事を終えて、4月から2ヶ月の有給休暇を取得した。ぽっかり空いた平日の昼間に、フラフラと一人で「ふたつの部屋、ふたりの暮らし」というフランス映画を吉祥寺のアップリンクに観に行った。南仏を舞台として「向かい合う互いの部屋を行き来して暮らす隣人同士のニナとマドレーヌは、実は長年密かに愛し合ってきた恋人同士だった」という設定で、関係性を周囲に隠して生きる年老いた同性カップルの葛藤を描いている。この映画の監督のインタビューを後日読んで、雷に打たれたような感覚になった。監督はこの映画を、恐怖から来る「自己検閲」についての映画だと説明しつつこう語る。

マドレーヌが暮らしているのは小さな町ですし、子どもたちも近くに住んでいますから、よそ者のニナと違い、常に世間の目にさらされています。それに、私たちは成長する過程で、「(世間的に見て)何が正しいのか」ということを教え込まれますよね。つまり社会的な制約により、物事に対する見方が条件づけられていく。世間の目は自宅のドアを閉めればシャットアウトできますが、自分が自分に向ける目線からは24時間ずっと逃れることができません。こうした自己検閲で、マドレーヌは苦しんでいるんです。

https://ginzamag.com/interview/filippomeneghetti/


根底に流れているテーマが正に今の自分を説明していると思った。社会的な制約により、物事に対する見方が条件づけられていく。自分に向ける目線からは24時間逃れることができない。この文章を読んでびっくりした。まるで私じゃないか、と。「何をどこまで話したらバレるか」を考えること、常に二手三手先の質問を避けること、バレそうになったら関係性を引く、その骨身に染み付いた仕草が12歳から32歳まで20年間積み重ねてきた。20年は短い年月ではない。
今30代に入り、恐らく人生の半分〜1/3くらいまで差し掛かってしまった。

私は90年代に生まれた多くのLGBTQの人々と同じように、保守的な地域で暮らすことが困難で東京に避難してきた。人口1万人程度の小さな町で育ち、自分のこと誰にも伝えず自分以外のLGBTQの人と初めて会ったのは20歳になってからだった。LGBTなんて言葉は当時誰も知らず、"レズビアン"でGoogle検索するとAVコンテンツで埋め尽くされる。自分らしく生きることは非常に危険だった。誰が偏見があり、誰がないか見た目では判断ができない。今でも鮮明に覚えているのだけど、大学の時サークルの合宿で大学1年がグループごとに出し物をすることになった。笑いを取るために全体の半分の3チームが"ホモネタ"、男同士の恋愛を笑うような寸劇をやった。会場は大爆笑に包まれた。心に冷たい水が流れ込んでくる感覚を覚えた。東京に出てきたけどここも危ないと思った。地方にいる時は「東京に行けば」という希望があった。東京に来ても同じであるという事実に、より絶望は深まった。そういう環境で私を守ってくれたのが、自己検閲の仕草だった。

伝えられなかった言葉たち

「なんで二十代で家を買ったの?」「年末年始は何してたの?」「どんな家族が理想?」会話の中で、別にパートナーシップに一見関係ないことでもこちら20年選手である。「いやー何となく!早くローン組むと楽らしいじゃないですか!」「年末はダラダラ過ごしてただけっすね!」「いやー家族はイメージつかないっすね〜独身気楽なんでw」一発でかわしたり誤魔化したり話を逸らしたり。嘘はつきたくないし極力嘘をゼロにするように努力はしている。だけど暮らしの周辺を雑になぞるだけで、本当のことは伝えられない。世界と自分の間にうっすらと半透明な膜が張られていて、向こうの世界は見えるけど踏み越えることはできない。
でも本当はもっといろんなことを伝えたかった。少しでも興味を向けてくれた人たちと深く理解し合いたかった。心を通わせたかった。「同性カップルで賃貸はなかなか見つからないんです。探しても探しても男女のカップルが住めるような条件のいい家が見つからなくて不動産屋の帰り泣いて帰ったこともある。結局高額の賃貸に住んでいて、買うしか無かったですが居場所ができて嬉しかったですよ。」「年末年始はパートナーの親に会うために海外渡航してました。すごく親戚が多くてユニークで。受け入れてもらえて嬉しかったです。」「彼女と法律上の家族にはなれないけど子どもと共同体の中でいろんな人と関わって暮らせたらそれが幸せですね。」そんなふうに、思っていることをただ自分を開いて、言葉に乗せる、かわすことに意識を集中させるのではなく、相手への純粋な興味に意識を集中させられたらどんなに良かっただろう。
マドレーヌが苦しんでいた"自己検閲"に思いを馳せて、あまりに当たり前の仕草だったけれど、自分ももしかしたら苦しんでいたのかもしれないと気づいた。

宇多田ヒカルのことば

自己検閲が今の自分のキーワードになったそんな時にふと、Vogueに掲載された宇多田ヒカルの記事を読んだ。衝撃だった。彼女は家族との関係、母親の死、9年続けている精神分析について記事では語っていてその中でこんなことを語っている。

子ども時代が一番強烈だったんだろうなと思います。寂しさや辛さ、耐えられない気持ちや悲しみ、そういうものが濃くダイレクトにありましたね。そこから自分を守るために、環境に応じて成長しちゃうじゃないですか。適合するというか。そうやって身につけた行動パターンや思考パターンに、もう大丈夫だよ、もういらないんだよ、そのときは必要だったけれど、今はそれが人との関係を築いたり、自分が自分との良好な関係を保ったりするのに邪魔してるよね、っていうのを学んできた人生というか。

https://www.vogue.co.jp/celebrity/article/in-my-mode

その時は必要だったけれど、今は自分が人との関係を築いたり自分と向き合うことも邪魔していること、それが私の自己検閲の思考回路と仕草なのだと、宇多田ヒカルの言葉に膝を打つ思いだった。

「もう、大丈夫だよ」そうやって自分に言ってあげることが私にできるだろうか。何となく、今ならできる気がする。他の人がきっとしているように自己を開示し、開示され、それで傷つくこともあるかもしれないけど、そんなふうに素直に人と接するやつ、やってみたい。自分を隠すことに注いできた膨大なエネルギーを、もっと何か別のことに注いでみたい。そう素直に思ったことが今年の初夏、私に突然訪れた変化だった。

不受理になるとわかっているのに提出した理由を書こうと思ったら、書ききれず長くなってしまったので(2)に続く。


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