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歳をとると言えることが少なくなるよな~とか言ってる場合でもない

目に留まるものがだいたい気に入らなくて、なんでこうならないんだなんでそうしてしまうんだ。そんなことばっかりを昔から考えていた。



かんがえる・・・ことは誰にでもできて、じゃあその考えたことを自分の手でどうにかできるのか?と問われても答えはNOだったりした。あの頃は目の前のことにせいいっぱいで先を見るなんてことができるわけもなく、ただがむしゃらに「やってみる」をやっていた。



こんなぼくでも気が付けば35歳。高校生のときのぼくからするとおっさんだ。少しだけ「できること」が増えて、少しだけ視界は広がったのだと思うのだけれど、そのせいで言えることがかなり少なくなってしまった。



目の前のことにバタつきながら遠くを見つめ入ってくる雑音に耳を閉じ脇道はもう気にはならない。世の中ではいまだに「とりあえずやってみろ」などと言われているが「とりあえずやる」でうまくいった経験はない。



「とりあえずやってみる」でうまくいったと勘違いしてしまうときは「やってみた直後だけ」で、それが3年程たつと間違いだったと気づく。そのときにはもう手遅れで、取り返しのつかない状況になっていることなんてのもたくさん見てきた。



若いときの自分に言いたいことがとてもある。まずは考えることだ。そしてあらゆるリスクを洗い出すことだ。そしてそれが「一人でもできる」ことならやればいい。もしそうでないならやめたほうがいい。



とはいえこれは一人でやれということではなくて、一人でもできることだけど他人がいるともっと捗るだろうな、というときはチームをつくったほうがいい。前提条件として「一人でもやれる」がとても大切だ。



誰もぼくの人生の責任をとってはくれない。自分の人生に責任をもつのは自分で、ヒトが一人いなくなったくらいでできなくなる「何か」にたいした意味がないということでもある。



仲間をグループにしてはいけない。そこには馴れ合いが発生してしまうから。作るならチームだ。グループは何も生まない。NBAのロッカールームを想像してほしい。あれがチームだ。移籍で他のチームに行くやつもいれば入ってくるやつもいる。そういうものがいい。囲い込むな、理想を掲げろ、合うなら残れ、合わないなら出ていけ、自分も他人もそれでいい。





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