自閉・クソ・エッセイ

※眠剤の回った頭で書いた脚色+20%の自分語り文章です。
※いじめ、精神疾患、薬物依存などの表現が含まれます。
※当文章は薬物乱用を決して推奨していません!

僕にとって、考えることは価値でした。何かを理解することはとても楽しく、生き甲斐そのものでした。
しかし、現在の僕は真逆の思考を持っています。考えることは不幸のもとで、何かを理解することが自分の気持ちにいい影響を及ぼすとは限らないと感じているのです。

僕は幼少期から両親に「あんたは天才の子なんだよ」と育てられてきました。僕はそれを真に受けて自分を天才の子なのだと思い込んでいました。

それから小学生になって、僕は本格的に学校教育を受けるようになります。そこで僕はペーパーテストのできる人間なのだと気が付きました。テストで高点数を叩き出す度、僕は自分をなんとなく好きになれました。何よりも、授業で何かを教えてもらう度に点と点が繋がるのが楽しくって仕方がありませんでした。成績を眺めては自分はやっぱり天才の子なのだなあと感じて優越感に浸っていました。

しかし、小学生の中盤頃から、いじめが発生します。無視から濡れ衣やら暴言やら……されたことだけを考えるとあまり良い思い出ではありません。天才な僕は受けた行いから何か理由があると考え、何故嫌われたのかという記憶の総洗いを始めました。勉強は出来るのに体育ができない、歌も下手くそ、余計なことを口走ってしまう……。どうやら僕は人とズレた仕草・感性をしているのだろうと推察をしました。いえむしろ、ほとんど確信に近かったと思います。どのようにすれば普通の人と同じ気持ちを分かち合えるのかと苦悩したのも数え切れないほどありますし、僕はみんなにうっすら嫌われているのだと思い始めたのもこの頃からだったかと思います。
それでも、僕は考えることをやめませんでした。考えれば、常人の行動を観察すれば、理解すれば……「天才な僕なら」必ずなんとかなると思ったのです。……もちろん、一つ一つ物事を紐解いて1歩ずつ理解に近付いていくのが楽しかったのもあります。

ただ、思い込みと自分の努力だけでは状況は変わらないことに気付いてきます。まず最初に、朝起きが億劫になりました。元々朝は苦手でしたが、前日の晩から朝が来ることに憂鬱さを感じるようになったのです。次に、寝癖直しどころか風呂に入ることさえ厭になりました。衛生観念に気を遣うような元気がなくなったのです。そのうち、僕は数カ月に一度ズル休みをすることにしました。毎日のように吐き気を催しては、恥をかくのを恐れて体育を見学することにしていました。でも、ペーパーテストだけは毎回トップクラスで、そこだけが自分を好きになれる唯一の特徴でした。何故なら、僕は両親の言う通り「天才」なのですから。

中高生になると、いじめはなくなりました。しかし、それでも人間不信は終わりません。近付く人間をひたすらに拒絶しました。学校の休み時間のざわついた音で小学生時代の嘲笑を思い出し段々教室に行くのが厭になっていきました。この頃には考えることと理解すること“だけ”が自分の価値だと思っていたので、授業はしっかり受けた後、休み時間には誰も来ないような部屋を借りて静かに過ごしていました。もちろん、その静かな部屋でも色々なことを考えていました。クラスメートの声に怯えてしまうのは過去の誰が原因なのか、その誰が何をしてきたのか、されたことの何が嫌だったのか、僕の何がいけなかったのか……。考える度、僕は吐き気を催し嘔吐しました。毎日、ストレスで胃腸に異常をきたして生活の質はとんでもなく低くなっていたと思います。その辺りから、僕は考えることは苦痛なのだと感じ始めました。

高校1年のある日、苦痛に耐えかねて僕は精神科を受診し抗不安薬を処方してもらいました。次の日、僕は休み時間に薬をひとつ口に入れました。飲んで30分ほどすると、頭がぼんやりして他人の声なんてどうでもよく感じてきました。「余計な」考えが突っ払われて強迫観念じみた「天才さ」さえもどうでもいいと感じるようになったのです。僕はそこで初めて安心を手に入れました。邪念が取り払われ、授業への集中力も増していたように思います。

そこから僕は不安が訪れる度に薬をひとつ口に放り込みました。安堵感は裏切らずに僕を包みます。考えることから目を背け、自分の幸せを感じながらペーパーテストで点を取っていけるなんてそれはとても素晴らしいことではないですか!

しかし、その幸せも長くは続きません。この薬は1~2時間程度で切れてしまい、学校などという長い拘束時間には向かないものなのです。薬が切れると、僕は不安を思い出します。忘れていた苦痛が戻ってくると以前よりもしんどく感じます。いつしか僕は、人前で文字を書くことにさえ不安を覚えついには学校に行くことが出来なくなりました。

薬物に溺れて授業も受けられなくなり「天才さ」さえも失った僕は自分がなんなのかが分からなくなりました。僕は不安から薬をふたつ口に流し込みました。そうすると、なんだか眠くなってきていつもより幸せに感じました。数日後、僕は不安から薬をよっつ口で噛み砕きました。考えないことの素晴らしさや薬物の幸せを知りました。

全部、どうでもいいと思いました。どうせ何をしても親はこんな劣った僕でも天才と呼んでくれるのだから、どうせ優れたことをしても親は天才以外に何も言ってくれないのだから、頑張ることが急に馬鹿馬鹿しくなったのです。褒めてくれるような友人はいないし、いたとて自分が拒絶する。勉強は楽しいけれど他人のいる場所でなんて出来ないから学校なんて行っちゃいられない。もし大学に行けたとしても寝坊だらけで意味もない。

僕は、抗不安薬を救済だと感じるようになっていました。僕の思想の軸はすっかり変わってしまったのです。考えることは不幸のもとで、何かを理解することが自分の気持ちにいい影響を及ぼすとは限らないと感じてしまったのです。何も考えず廃人のように惰性のまま生きて何も分からず完全に狂ってしまえば苦しむこともないのだと……今ではそう考えています。

今の僕は睡眠薬を大量に処方されています。夜に眠れずに苦しんで無駄に考えることがなくなるからというのと、短期記憶(ワーキングメモリ)が多少曖昧になって嫌なこともすぐに意識の外にやることができるようになるからです。夜は薬を飲んで安らかに一日を終えるのが僕にとっての幸せです。

今の僕には仕事だってちゃんとしたものはありませんし、だらだらと不登校や無職を続けているうちに障害者手帳や障害年金だって下りるようになりました。現在の僕は「天才」などとは到底表現できない生活ですが、僕は今現状にとても満足しています。

今はパズルゲームや塗り絵なんかをして幼児退行した気持ちでゆるやかに安寧を享受しています。僕はもう、天才なんかじゃないのだから考える必要なんてありません。お勉強もしたら楽しいのは分かっていますが嫌なことが少しでも思い出されるのでしたくありません。僕に必要なのは思考ではなく、安心だけだと思うのです。

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