わたしの、今までの事と、これからの事

noteを始めてみました。保護団体をやめてから、発信はツイッターが主だったのですが、140字の中で誤解を生まないように書くの難しい…と常々思っていまして。ブログでもよかったけど、流行に乗ってみました。へへ。

しばらくは自分の考えを文章にまとめて取っておく倉庫みたいな使い方になるかと。読んでくれる奇特な方はありがとう、よろしくお願いします。

今までの事

現在33歳のわたしは、22歳で結婚し、地元である北海道を離れて神奈川へ移り住みました。23歳の頃ボランティアとして保護団体に所属し7年ほど活動。その後団体を離れ、個人活動へ移行しました。その間動物病院で働いたりなどもしていました。

保護活動を始めたキッカケは、移住してきた矢先に子猫を拾った事…まぁ拾う過程でなかなかこの世の世知辛さを知ってしまうんですが長くなるので割愛。子猫は結果的に、夫の実家に引き取ってもらう事になるのですが、それが決まるまでのあいだに里親募集についても調べました。

当時の私の想像では、子猫を拾って里親を募集するなんて100%善いことで、里親になりたい人なんて100%善人で、それはもう微笑ましいほんわかワールドが繰り広げられていて、この子猫には幸せが約束されていると思っていたのです。

しかし、フタを開けてみれば…もちろん善い人はたくさん居ると思います。ただ、検索して出てくるのは、里親詐欺・虐待・遺棄・当時25万頭程だった(現在は4万3千頭ほど)殺処分・常にキャパに苦しむ保護団体・劣悪な繁殖業者などなどなど…どちらかというと暗い話題が多く、無防備で飛び込んだらこりゃ大ヤケドですわ…といった感じの魑魅魍魎ワールドだったのです。そして怖くなって夫の実家に引き取りのお願いをしたのです…ハイ。

(とは言え、当時の何の知識もない状態で、ネットを使って見ず知らずの不特定多数相手に子猫の里親募集をするのは猫にも私にも多少危険ではあったと今になっては思うので、図らずも正しい判断でした。突発的な里親募集は、身内や友人に譲渡できるのが一番良いです)


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その時拾ったポン太。可愛すぎた。夫実家にて健在です。


子猫は夫実家に無事引き取られ。しかしその後も、一度知ってしまった現実が頭から離れませんでした。子供の頃から生物全般好きだった自分が、一番身近な伴侶動物の現実を知らなかったことは、自分にとって衝撃でした。

無条件に、犬猫はみんなただただ愛されて幸せに生きてると思い込んでいた…当時は自分を恥じましたが、今思えばそれだけ自分が無条件に犬猫を大好きだったからでしょう。自分がこんなに好きだし、世間一般でも犬猫の扱いは「カワイイ」一辺倒なんだからみんな好きなはず!不幸になっていたらみんなこぞって助けるはず!と思っていたんですね。わたし無邪気だな。

当時の気持ちは忘れないようにしようとも思っています。同じ考えを持つ方はきっと毎日新しくうまれている事でしょう、そして大きなショックを受けているでしょう。ショックを受けたのち、どういう道へ進むかはきっとその後出会う人々から多大な影響を受けることでしょう。当時の自分を想いながら自戒し、良い影響を与える人間でありたいという事も私の目標のひとつです。

自分にできることは何か。

自分にできる事はないのか!何かしたい!とにかく何かしたい!

子猫を夫実家に送り届けた私は、その後近場の保護団体を探し、何かさせてくれと熱く連絡し、保護団体はどこもとにかく人手不足ですので、すぐにボランティアとして通うことが決まりました。そしてそのまま7年所属することになります。

活動内容は団体によって違うのですが、私のいた団体の基本は保護→譲渡であり、はじめの何年かはとにかくひたすら保護犬猫のお世話係。数年経ち、譲渡関係の業務をしたり、人に馴れていない猫の自宅預かり、傷病や高齢で先が長くない猫の看取り(これは私に向いていましたので、別記事で詳しく触れたいです)などするようになりました。

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初めて「看取り」として引き取ったトラ。すばらしい猫。


保護犬猫とは、野良出身ももちろんいますが、何らかの理由で飼い主を失った犬猫も多くいます。その理由は、飼い主の病気や死去など仕方のない理由な場合ももちろんあるのですが、無責任や怠慢であったり、あるいは異常としか言えない場合も多々あります。

ボランティアを始めてしばらくは、そういった「元飼い主」に対して、ほとんど怒りや呆れなどの憤りしか持っていませんでした。ひどい事をする人が全部悪いんだ、そのせいで犬猫がこんなにひどい目にあう。もっと厳しく取り締まればいいんだ、もっと厳しい罰を与えればいいんだ、と。

実際に、ひどい状態で捨てられ、保護され、怯えて震える犬猫を目の前にして、そういった気持ちを全く持たないことは今も難しいです。私を含む保護活動者の多くは、多少なりとも義憤が原動力になっていることはおそらく否定できないでしょう。法的な取り締まりや罰に関しても、先進国の中で日本は遅れているようですから、まだまだ改定の余地はあるでしょう。

当時の私のそういう考えも、大きく間違えているとは思っていません。「正しい」ことではあると思っています。

保護活動とは「活動が消滅すること」が最終目標

保護活動が存在し続けるという事は、保護しなければならない不幸な犬猫がとめどなく発生し続けているという事。ですので、いつかは保護活動自体がいらなくなることが理想です、それが50年後なのか100年後なのか500年後なのかはわかりませんが。

そのために、「蛇口を閉める」活動は多いです。それはTNR(野良猫の避妊去勢手術)だったり、野良猫の増加が問題となっている地域での住民とのコミュニケーションだったり、繁殖業者の取り締まりだったり、譲渡した保護犬猫が再び遺棄等される事のないよう厳格な譲渡条件を設けたり…などです。

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TNR活動中に捕獲し、負傷・高齢だったので保護した故たまばあ


活動者も人間ですから、それぞれ心の動く事や興味を持つ事、考え方はみんな違います。

私が強く関心を持ったのは、客観的に見てとても動物を飼育できる状態ではない人間がしばしば犬猫を飼い始めてしまう(得てして繁殖制限をしていなかったりなどで多頭が多い)ことでした。近頃は社会問題として扱われることも増えてきた、いわゆる「多頭飼育崩壊」などがこれにあたるかと思います。

飼育崩壊現場は大抵ひどく劣悪で、そこで暮らし続けた犬猫は健康ではない事も多いです。健康な子たちは里親募集とされ、病気で先が長くない猫を自宅で何度か引き取り、介護し、その死を見届けました。保護団体ではよくあるかたちです。

元飼い主の管理不足により命を縮めた猫を世話するなか、怒りとともに考え始めた事があります。

元飼い主は、抱えきれない数の犬猫を抱え、家中糞尿や死体で荒れ果てて、そんな場所で生活するのが心地良い人間はおそらくいない。それが周囲に露呈して、保護団体や行政の介入で犬猫を手放して。おそらく恥ずかしいし、煩わしく苦痛だったのではないだろうか。そんな目にあいたい人間いるはずがない。どこから、いつから、自分の生活をコントロールできなくなっていたんだろう。もしかして猫を飼う前から?なぜ?どのような問題を抱えていたんだろう?その問題は、本人が「悪い」ものなんだろうか?

そして今は、幸せに暮らしているんだろうか?

次第に、憤り以外の気持ちや疑問が浮かぶようになりました。

「蛇口を閉める」には、どうしたらよかったのか

(現実的には無理なんですが例え話として)絶対に犬猫を飼育できないだろうという状態の人間が、飼育を始めてしまいそうなのを片っ端から見つけ出し、「正しい」考えでもって叱りつけて回ればよかったのでしょうか。お前に飼育ができるはずがないだろう、失敗したら罰を与えるぞ!と。

ある程度効果は見込めるかもしれませんが、どうもしっくりきません。なぜなら、私がこんな事言われたらただただムカつくから。絶対に言うこと聞きません、なんだお前何様だようるせえなどっか行けって思います。

そもそもですが

>絶対に犬猫を飼育できないだろうという状態の人間

ってどういう状態の人間を指すのでしょう。

病気や障害など様々な理由により正常な判断ができなくなっている、心身ともに生活が安定していない、経済的に困窮している

などでしょうか。

ですが、サポートをしてくれる家族や同居人が居れば、正しく飼育することも可能な場合もあるでしょう。同居人でなくとも相談できる相手がいれば、飼う事はできないよ、と説得されて諦めることもあるでしょうし、万が一飼い始めて飼育困難になった場合でも、適切な方法で犬猫を手放す方法を一緒に考えてくれるかもしれません(望ましい事ではないですが)

問題を起こしてしまった方々は、サポートを受けられていなかった、という事になるのでしょう。なぜなのか?

なぜなのか…

わからない!

わからないのです、私には。なぜなら社会福祉の知識がゼロだから!どういうサポートがあるのか、どこでどうやって申し込めばサポートを受けられるのか、セーフティネットから漏れている人達へのアプローチはどういうものがあるのか。

飼育崩壊は、崩壊してしまったらもう遅いんです。発覚したときには大抵何匹かは亡くなった後ですし、多い時は100頭近くになっている犬猫の行き先を探す事は生半可な事ではありません。保護団体のキャパシティを圧迫し、他からの保護の妨げになりますし、最悪の場合保護された先でまた崩壊のようなことが起きたりします。

…と、こんな風に、犬猫関係の事ならばペラッペラと饒舌な私ですが、人間のことになると「わからない」ですって。由々しき事態です。びっくりした。

これからの事

飼育崩壊する前、いやそれよりもっと手前の、その人の生活に犬猫が登場する前から、問題は始まってるんじゃないだろうか。その問題の手助けをすることが、結果的に犬猫の幸せにもつながるんじゃないだろうか。そんな思いが、私の中で強くなっています。

その思いを行動に移すには、社会福祉のことを勉強しなければいけません。困っている人を助けたいなどとのたまってるくせに、どこでどういう助けが得られるか知らんけど頑張れよ!では最初から口出さないほうがマシです。

社会福祉のお勉強をした結果、もしかしたら保護活動から離れる可能性もあると思います。でも、漠然とした綺麗事のようですが「社会をよくする」ことが人間だろうが犬猫だろうが全ての問題の解決につながる事だと、誰かを責めて排除することが解決ではないと、信じています。私が善く生きようとする限り、根っこは繋がっていると、信じてます。

23歳からボランティアを始めてここまできました。お金もけっこう使いました。ここらで一旦、自分の考えをまとめる、勉強する時間をとってもいいんじゃないか、と考えています。あと貯金もしたい。


とりあえず、目下の目標は、優しく見える人になりたいな。

失敗した人を吊るし上げて叩きのめして、そしてそのうち忘れて。それを見ていたら、今まさに失敗しかけている人は、怖くて隠すようになってしまって、もっともっと目の届かないところに潜ってしまうんじゃないだろうか。少なくとも私は、めちゃくちゃ怒ってる人やすごく厳しい人に、わたし失敗してしまって困っているから助けてください!って言えない。こわいもん。

だから最低限「怒っていない人」でいたい。

文章でも雰囲気でも面と向かってでも、あまり強くて厳しい表現をしたくないのはそういう部分が大きいです。昔はちょっとしてたけど。ごめんね!

「困ってます」って自分から言って欲しいのです。その方が効率がいいからね。

でも厳しくする人も世の中必要でしょうし、信念を持って厳しくしている人は立派です。

私としては、処世術としての多少ずるい優しさを完璧に身に付けたいですね!ずる賢くね!フハハ!

所信表明おわり!


まな。





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