「無駄の美学」のはなし。

(2020.10.6更新イベントHP内ブログ 原文ママ)

皆さんこんばんは!
『ヒトハタアゲル!!』CEOのたむです。

今夜は「無駄の美学」についてのはなし。

「無駄の美学」というのは、仲のいい友だち3人とのLINEグループ内で生まれ、大切にされている言葉なのです。

Aちゃんが私に、誕生日プレゼントでボールペンをくれました。
そのボールペンは、ペン先と逆にピエロの飾りが付いていて、触ると手足が動くようになっている、というもの。
それを「この機能いらないよね~!」という話になったときに、「”無駄の美学”」と。

私が好きな、B-SIDE LABELというステッカーショップのショップカードに、こんなことが書いてありました。
「無くても良いものだからこそ、例え1mmでも人の心を動かすデザインをすることを信条に」
南船場にある本店には昔から通っていますが、つい最近もらったカードに書いてあった文章で、ああだから自分はビーサイドが好きなんだろうなあ、と腑に落ちたのです。

私の人生における永遠のテーマ「”なくてもいい”ことにどれだけ意味を持たせられるか」。
説明すると、例えば、
アナタはライブハウスとコンビニの間で、何かを口にしないと死んでしまう、という餓死寸前の状況です。
ポケットを探ったら奥の方から¥3000が出てきました。
ライブハウスでは、これから¥3000で入場できるイベントが行われるようです。
アナタはコンビニとライブハウス、どちらに使いますか?

ほとんどの人が、コンビニで何か食べ物を買って飢えをしのぐはずです。

そう、ライブハウスにいてもご飯は食べさせてもらえないし、住まいにはできないし、着るものも出してくれないんです。

ライブや音楽・エンターテイメントという括りに入るものごとは、なくても人間生きていけるものなんです。
(ライブハウス経営など、それを生業にしている方だと話はまた変わってくるのですが…)

じゃあなぜ自分はその”なくてもいいものごと”に興味を持ち、こだわり、夢を持つのか。
それは、興味があるし、こだわりたいし、夢だから。

なくてもいいこと=あってはいけないものごと
ではなく
なくてもいいこと=あってもいいものごと

さらに言うと、
あっていいものごと=あったら生活がより豊かで楽しくなるものごと

だと思っています。

このいわば”無駄”とも表現できるものごとに、どれだけ価値を見出せるか、意味を持たせられるかが私の使命・生きる意味なんじゃないかなあと、ある日こじつけたのです(笑)

このはなし、自分の中では全くブレないものなのですが、矛盾点やら突っ込まれたら「あれ?」となる部分がとても多いはなしでもあるなあと、自分自身ではなしていて思うのです。
つまり、文章や言葉ではうまく表せないんですね。
だからこそ、行動で示していこう、そう強く思うのです。

そんな「無駄の美学」のはなし。

それでは、たむでした!

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