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1.子宮体がんの告知まで

2019年11月15日子宮体がんの摘出手術を受けた。
私は、子宮頸がん・乳がん検診含めたがん検診は毎回受けていたが、子宮体がん検査は受けていなかった。
私の住む町では「子宮頸がん検査」の結果で医師が必要と判断した場合「子宮体がん検査」も受けられるが、そういう必要性を言われることはなかったからだ。
50代になって私は生理の頻発(月に2回生理が来たり)による貧血で婦人科を受診するようになった。
エコー診断で子宮内膜が厚いと言われ、何度か子宮体がん検診を試みられたが、あまりの激痛で毎回途中断念になっていた。(以前通っていた病院では「子宮体がん検査では気絶する人もいるので、無理してやることはできない」と言われていた)


MRIで子宮体がんであるかどうかの検査もできるようだったが、なぜかこの先生は「MRIは値段が高いから~」という奇妙な理由を小さな声で耳打ちをして、それを勧めなかった。
私としても、『高いって!どのくらい!?「様子見でいい」というならまぁいいのかなぁ?』と軽く思っていた。

生理は高校生の頃から重く、出血過多気味で、だから「生理とはそういうものだ」と思いこんでいた。
さらに生理の頻発は更年期によるホルモンバランスの乱れによるもので、閉経になれば納まるだろうから、処方された鉄剤を飲んで貧血をやり過ごせばそのうち閉経になって問題も解決すると思っていた。
血液検査と、痛みで結局途中断念する子宮体がん検査を試され、鉄剤を処方される。そんな通院が2年ほど続いた。だんだん医師への疑いも芽生えていった。
『高くてもいいからMRIで白黒つけてもらいたい!』との思いで「もう、いい加減MRI受けたいんですけど!!」と強い口調で詰め寄るとあっさりMRIの病院を紹介された。
ちなみに、MRIは6,000円程度!全然高くなかった!むしろ、血液検査やらなんやらで毎回4000円ほど支払っていたことを思うと…、自分の病院の経営のためにMRIを勧めなかったのだろうか?と勘ぐってしまった。


数日後の(8月の)お盆前にMRI検査を受けてお盆明けに出た結果で「子宮体がんの疑いあり」となり、9月に大きな病院で子宮内膜掻爬術(一泊入院、局所麻酔)を行い「やはり子宮体がんでしょう」ということで、今度は大学病院を紹介され10月に再度MRI、CT検査を行い「やはり子宮体がんです」ということで…、11月に子宮・卵巣・卵管の摘出手術を行うことになった。


ここまでたったの三か月、一度、がんの疑いがかけられるとこんなに一気にことは進むのだと驚いた。と同時に『貧血で婦人科に通ったあの2年間は何だったんだ!あの藪医者め!もっと早く別の治療を行っていたらこうはならなかったのではないか⁉』と恨めしかった。


別の治療というのは、薬で生理を止めることもできたし、エストロゲンホルモンによるがんであれば、プロゲステロンホルモンを補充するとか他のやりようがあったのではないか…と後の祭りでそんなことを考えるのだった。
後日ネットでその病院を検索すると「クソババア」とか、人間性にも問題あるなど悪く書かれていて…そしてそれは、あながち間違いじゃないような気もして(確かにものすごい厚化粧の高齢者だった…)『なんでこんな病院に通ってたかな…』と残念な気持ちでいっぱいになった。

子宮内膜掻爬術後のがん告知は、白いTシャツが似合いそうな細身でサラサラショートな茶髪の若い女医さんだった。
パソコン画面を見ながら「あっ、ガンですね~」と超軽い口調だった。『日本では二人に一人はがんになる時代なので、彼女にとっては日常の出来事でこんなにも軽い扱いなのだなぁ』と白々しい思いで聞いていた。
私としても、心の奥の奥では動揺があったものの、自分のことになると結構客観的に受け止められるもので、必死に病状についてメモを取りながらテンポよい受け答えをしていた。
色々説明を聞いた後に「えっと、結局私は【がん】ということですか…?」と確認すると、すかさず「はい、がんです~」とダメ押しされて部屋を出た。
今後については看護師さんと話をして、手続き終了。


買い物をする予定だったのでそれを済ませ、気持ちを落ち着かせて家で待つ家族に報告の電話をしようと思った。どこか落ち着けるところ…と考えながら車を走らせて美術館に向かった。
駐車場で父に電話をして「がんだった」と伝えたとたん、父の声が一気に重いため息に変わった。私は慌てて「大丈夫だから!大丈夫だよ~!!」と必死に父を励ました。
その後、関東にいる妹にも電話すると、妹も同じように「あぁぁ…」と大きく息を吐き出し黙ってしまった。近くにいたら抱きしめてあげたいと思いながら(抱きしめられるのは自分の方?)「大丈夫だから!大丈夫、大丈夫だよーー」と妹をなだめて今後のスケジュールについて伝えた。

妹は涙をこらえながら毅然と「全力でサポートするから!」と言ってくれた。
あれこれ考えて頭の中は固まっていて、でも足はフワフワして地につかない感じだった。『ストラスブール美術館展』を一通り観て『こういう状況でも、芸術鑑賞って普通にできるんだぁ~』不思議な気持ちで自分を俯瞰していた。とりあえず交通安全に気を付けて帰路についた。

(画像は展覧会で購入したゴッホの絵ハガキ)
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子宮体がんについては、今後も下記の内容を書いていきたいと思う。
*②貧血について
*③藪医者を選んでしまったことについて
*④子宮体がん検査について 
*⑤CT/MRI検査について
*⑥局所麻酔と全身麻酔について
*⑦ホルモンや生理について
*⑧入院準備について
*⑨入院中の話
*⑩術後のリンパ浮腫について
*⑪退院後の検査について



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