オペラ「椿姫」高いところから…
歌劇団二期会の椿姫、今回の目的は主演谷原めぐみさんの3幕目のアリア「さようなら」を聴くため。オーケストラボックスは遥か下、安い5階席の桟敷から見下ろしているのだが、東京文化会館の大ホールはすばらしい、音楽はトルネードみたいに、音の柱になって天井まで突きあがり、最初の一音で涙が出ちゃう。ヴェルディ天才!
椿姫、ヴィオレッタはいかにもオペラ的役柄で、マッチョな階級社会のハラスメントに追われ、滅亡する高級娼婦。悪い女は女の盛りには贅沢ができるものの、フェアな恋愛にトライしたら相手も弱くて、社会の角に詰められボコられ、天罰ね、可哀想に!という野蛮な三幕のお話だ。
谷原さんのソプラノは白椿のように清々として、冒頭の華やかな「乾杯の歌」にさえすでに哀愁がある。終に肺病で死ぬ前に別れを告げるアリアは、秀逸に美しかった。 “un fil di voce” 声の糸のように…曲終わりは蜘蛛の糸めいた声が空気に消えていく…空気を震わせて伝わる旋律、強い美女ではなく、儚いヴィオレッタ。それもあり。
オペラは高い、いろんな意味で。音楽家のコストだけでも全く仕方がない。それでも観たい学生や常連で天井桟敷も満員になるわけで。ただ5階席は本当に天井ギリギリの高さで、梁みたいな位置から舞台を見下ろす都合で(実際はもちろん安全対策はできているのですが)見下ろすと落ちそうだ。
歌手のサイズはというと、感覚的には指の関節2つ分くらいにしか見えない。顔が良く見えないから、微妙にあるであろう音の遅延も気にならない。クラシックはアンプやスピーカーなしの生ライブだから、あの体積で音がまんべんなく響き渡るのには、毎度関心する。
最近の私は仕事が一段落して彷徨っている。次の足場がしっかりと決まらないでいる。存在感が減るにつれ比重が軽くなって、フワフワと空中に誘われそうな感じなのだ。そういう風船のような心持でいて、天井桟敷がこんなに危険だとは迂闊だった。
序曲が鳴ったころ、乾杯の歌くらいまではまだそうでもなかった。しかしヴィオレッタとアルマンのデュエットの頃から体が怪しくなってきた。どうにも目の前の空中に体がムズムズと誘われる、はるか下の舞台がそれほど見たいのかというわけでもないのに、前に前に体がせり出す。普通に席に座っていればもちろん落ちたりしない安全なデザインなのだが、あんまりにも乗り出しては真下のS席の観客の真上に落下する。
舞台上の二人よりも、S席に落下する自分のビジョンが何度も繰り返し脳裏に浮かぶ。享楽と真剣な恋が競う聴き所の二重奏をバックに何度もホールの空中に躍り出てはオペラの観客の悲鳴とともに観客席に落下していた。3幕のアリアを聴きに来たが、もう帰ろうか、このままあと2時間もこの場所にしがみついていられるだろうか、にわかに不安になってくる。
高所恐怖症を甘く見てはいけないのだ。恐怖から逃れたくて、高みに飛び込んでしまうかも。そんなことをしたら賠償金が遺族にのしかかるだろうし、万事ろくなことはない。そう思ってイスにしがみつき、なんとかフィナーレまで耐え抜いた。こんなに苦しむなんて、一体どうしたんだろう???
他の桟敷の観客は悠々と奈落をのぞき込み、オペラを楽しんでいる。ふくらはぎが最高潮にムズムズする、いっそ空中に飛び込んでしまいたい強い衝動を押し殺して震えているのは、私だけなのか。
オペラにもホールにも責任はない、ただ私が高所恐怖症なだけなんだが…高いところにいてもあんなことは初体験で、いかにも目に見えない何かが私の精神安定を脅かし、一方で何かが私の命を押しとどめていたようだった。