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engram レクチャーパフォーマンス「あなたが渋谷に残すもの」 @ Li-Po

 渋谷駅周辺の再開発では、それまでの営みをごっそり掘り起こして廃棄し、代わりにキラキラしたビルが差し込まれていく。突如異文明にのっとられたかのようだ。渋谷川沿いや桜ケ丘側にあった猥雑なアジールは跡形もなく消えた。長年この区画になじんでいたら方向感覚がおかしくなる。天を衝く高層ビル。各階に、ビルの窓一つ一つに、高額賃貸料を払う新しい人種が入っている。ビックマネーを操る人間が民族大移動みたいに大挙してくるのだろう。変わらぬことは、その下を地中深く流れている渋谷川だけ。

 二作目になるengram主宰伊藤満彦さんのレクチャーパフォーマンス。今回、美学校の講座「劇のやめ方」OB仲間でアーティストの藤中康輝さんがドラマトゥルク、松橋和也さんが映像、宣伝で作品に関わっている。彼ら、仲良しだなあ。

 さて、パフォーマンスは渋谷史のカオスを踏まえて、濁流に屹立する葦がごとき伊藤さんの個人史が語られる。その意味を掴もうと身構えたが、私には到底掬い取れなかった、そゆことじゃない、考えないがよろしい、委ねて踊れば楽しいばかりだ。

子ども時代に見た映画「ハチ公物語」にはじまり、上京して数十年、渋谷と関わりながら、目まぐるしい東京トレンドを浴びて生きてきたこと。心に深い痕跡を残す片思いの形見を、渋谷川に葬ったこと…鮮やかな色合いのタイムラプスの中で途方にくれる人間を見ているようだった。伊藤さん自身の映像がドッペルゲンガーみたいに現れると、実体感が濃いのはむしろ映像で、現実の彼はまるで陽炎、不思議な佇まいなのだ。

 会場は渋谷川のほとりにあるバー「Li―Po」で、大きくあいた窓からは川の流れが見下ろせる。移転前は東横線沿いのカオスな界隈にあったという。このロケーションありきで始まった企画だそうだが、どうせなら立地をもっと取り込んでもよかったかもしれない。暗幕を引いて暗くしていたけど、窓を見せて渋谷の町が参加する臨場感もあったら、また印象が変わったかもな。

 世界観の一端を担う白石雪妃さんの書、交差するラインが引かれ、抽象的な書なのかなと思っていたら、地図が出現。加えられていく施設名称や通りの名が書で書かれると意味深な呪文みたいで、面白かった。凄い訴求力があった。

 もう一人の出演者、開場から始まってプロローグ的に始まっている穴山香菜さんのダンス、ふと醒めて踊りをやめることがある。ピークと鎮静の継続を追ううち、彼女の瞬間的な興奮に惹き込まれる…穴山さんのダンスは官能的だった。開演してからは、役柄を演じていくのだが、それはもうドン!と輪郭が明確な直球で、伊藤さんとのコントラストは見ごたえがあった。メランコリックな身体、ダンス、彼の真骨頂だ。

ダンサーには囲われた場などいらないな、と思う。ダンサーは垣根のない空間に躍り出て、影響が及ぶ範囲に働きかけて「演劇的な場」を作りうる。ダンスのすごさは、ダンサーの身体の存在感とエネルギー如何。空気を動かし、場を沸き立たせ、観客を踊りに誘う、祝祭好きはダンスが観たい。

 渋谷の思い出があるかというと、10代の頃、FMの番組でとある輸入レコード店の話題が良く出ていた。それはどこにあるんだろう、渋谷の丘の上らしい。そこにいけば輸入盤で安く手に入る。なけなしの小遣いを握りしめて、思い切って訪ねてみた。ハンズの向かい側、丘のはずれにその店はあった。山ほどのレコードと、ドレッドヘアの店員。ゲゲゲ!コチラは小太りですっぴん、泣けるほどダサい10代女子で、しかしミッションがあった。店員に欲しいレコードがあると伝える。「曲名も、演奏者もわからなくて、でもどうしてもレコードが欲しいんです。昨日FMの番組で流れてて…」インターネットがない時代のことだから検索もできない。店員さんはこともなげに言う「Sing!」必死でデタラメ英語の”open arms"を熱唱し、ワンコーラス歌い切ったころ、ジャーニーの新譜をかけてくれた。大型スピーカーから流れる憧れの甘い歌声、そうそう!それですっ!

 だから私の渋谷史は、駅からまっすぐ宇田川の丘までの細い道を、お洒落男女をかき分けて向かうレコード屋、いずれはアップリンクやユーロスペース、雑居ビルにある単館映画館やギャラリーに至るサブカルのホーリーマウンテン、10代の聖地から始まるのだろうな。

※余談だが、90年代映画監督の園子温が街頭詩パフォーマンス「東京ガガガ」を主宰 していた。渋谷のスクランブル交差点でもパフォーマンスがあったけど、伊藤さんが作品中のダンスでガガガという擬音を多用していて、渋谷ってガガガが似合うんだな、と笑ってしまった。