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「孤独な存在」@さいたま国際芸術祭

孤独な存在」中国のドキュメンタリー、どっぷり内省的な作品で、広いホールに客も3割くらい、数回しか上映しないのに。これって「ドキュメンタリーってお話がなくて面白くない」のド典型なんだね。

映像がメランコリックで美しくてなんか見れてしまう。中国のどこかわからない丘を結ぶ、迷路みたいな坂道をいろんなおじいさんが歩いている。それぞれの石畳、石の塀、それぞれの隙間を寒そうな川風が吹き抜ける。

途中で出てくるテレビ映画が気になった。画質がよくなくてよくわからず、ベンハーかイワン雷帝とか、スペクタクル史劇のなにか。詳しくわかったら何か理解できるかも。でも辛口、ノーヒント、何もわからない。

カメラを通してしか他者を観れないカメラ人間が、引きこもっている部屋から見える向いのアパートに暮らす人の人生とか、時代があいまいな中国のどこかの地方、大きな川のほとりにある町の生活を映している、ただもう淡々と。時々中国語の会話を拾う。規則性もない。

大きな焚火の周りをぐるぐるぐるぐる回る群衆、川べりの密集住宅、麓の井戸からくみ上げて、丘の上まで天秤棒で水を運ぶ老人。最初の人はバケツで、次の人は木桶(フッテージかもしれない)で、この間に100年くらいたっている?いまだに共有の石臼で粉をひく人たち、地域の変わらない日常生活。そっくりの葬列が二回通るが、それも時代が今と昔のが二つあるみたいだ。大勢の映りこんだ人々、彼らの人生がどうだったのか、のぞき見なので、何もわからない。カメラの向こうにある行きずりの誰か。

孤独な人がのぞく向いのアパートの窓は、夜になると光が灯ってきれい。ベタに「裏窓」へのオマージュかもしれない。界隈は暮らし向きがよさそうな地域で、大型テレビとか見ているし、住民の品がいい。一つの窓は3面になっていて、下のほうが横長の長方形の嵌め殺しになっている。そこに顔を押し付けるように老人が寝ている。上の2面から見えるのは普通の部屋だけど、嵌め殺しのすりガラスだけつぶれた老人の顔が見える、苦しそうに寝返りをうつ。カメラはずっと見つめている、長い間凝視する、恐ろしい。

のぞきの共犯としては、映画の顛末にちょっと納得がいかない。
確かにそうすれば、これまでの不明な展開がまとまるけれど、でも、どうしてそういうことにしちゃうの?これまで1時間ストイックな映像につきあった私はどうなるの?とちょっと思った。