不満日記3

さりとて不満は尽きず、あたりさわりも無い事を書くよ

最近運動不足が酷いので部屋でもできるエクササイズ動画を見ている。いろいろやってみたけどなかやまきんにくんのシリーズが一番継続している。ダンスっぽくなくてリズムを取らなくても良いので自分のペースでやれるのが良い

Youtubeの雑談配信の小ネタとして動画の方向性のアンケートを取ってみた

無題

このアンケート通りにやれば良いってもんじゃないし、この通りにやっても多分滑る事が予想できるぐらいの常識は持ってる。まぁ配信の小ネタってことで。どれをやるかと言われたら逆張りなのでマニアックな考察とイラスト添削を検討する

フジロックの観客が密だとか何とかで批判されていた。アーティストも生活があるから何ともいえんが他の収益方法はないものかとも思う。去年も椎名林檎が感染者が増える中でライブを決行して批判を浴びていたけど覚えている人はもうほとんどいない。

一部のファン達のトンチキめいた擁護は僕自身オタクである限り嘲笑できる立場にはない。明日は我が身だ

ここ2年でいろいろな著名人・界隈がコロナ禍の振る舞いや過去の行いで批判を浴びて人によっては地位を失った

SNSの普及は個人を信仰する時代の到来の感があった。自分の好きな著名人(アーティスト、スポーツマン、政治家、etc...)と直接繋がれるようになった。同じ信者とも意識を共有しやすくなって信仰は加速するようになった。

良い例えが思いつかないが例えば絵が上手くて好きになった人の箸の持ち方や鼻のかみかたにさえ絶賛するような人が随分増えた印象がある。

「作品の奥の作者を見る時代」と言えばカッコいいが、SNSでバカなワナビーが増えたという言い方もできる。

1つの事件が起きると政治・芸術・スポーツ各ジャンルの人気者達は関係ない土俵の話にも無責任にズカズカ首を突っ込むし信者もそれを求める。

そんな風潮が最近崩れてきている気がする。明日は我が身の時代が来ているのかなぁ。

次の世代あたりでその辺の変質が起きるのではと予想(というか期待)している。ネットには見えないだけでSNSをやらないor冷静に見る世代と層がその内ふっと登場するのではと思ったりする(だからなんだってんだ)

僕は漫画が大好きだが漫画家に政治の解釈を求めないし。アニメ監督の語る狭い見識の人生訓はラジオ的な娯楽だと思ってる。その分野の勉強もせずに環境問題に首を突っ込む音楽家の愛用している商品は割高で買う気がおきない。違う分野に首を突っ込んで無責任に逃げる奴らは大っ嫌いだ。

もっかい言うけど大っ嫌いだ

嫌いという言葉で思い出したが、嫌いとかつまらないみたいなワードが随分使いにくくなったなと思う。好きという言葉だけで自分を形作るのは人間として歪だと思う。「お前の○○なところが嫌い」と言ってくれる友人は大切だったりする訳で。

嫌いという言葉を使わなくても人の牙が抜けたわけでないのでトンチンカンな大義名分と理屈で人を叩くようになるだけだと思う

「あいつなんか鼻につくから嫌い」という言葉が使えないせいで、「彼の〇月〇日の○○という発言は社会の公共性に置いて~」と気持ち悪い形で発露する羽目になるのだと思う。「DaiGoはちやほやされてて鼻についてたけどザマーミロ」がおっさんインフルエンサー達の本音じゃねぇのかな。

ビックイシューを買った事がある人だけが彼に石を投げるのです

漫画レビューする際も誹謗中傷はもちろんしないが、この演出は嫌い、ここは面白くない。ぐらい言わないと説得力ないとは思う。

この根っこには言葉が他人と自分の人生に大きな影響を与えるという誤解・罠がある。漫画で人生が変わるとかそういうヒロイックな幻想は思春期のどこかで疑いを持ってもいいんじゃねぇかな。悲劇のヒロインやってる間にも飯食ってシコってうんちしてって振幅運動をしていた事実をないがしろにしてええんかなと。振幅運動の中にある教訓の方が期待値高そうだと思うし・・・

今回はなかなかの不満が書けたきがする

おわり



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