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コロニー

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女の子と海のおはなし
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コロニー その1

 彼女は手に下げたビニール袋から冷えた缶を取り出し、「おさけです」と書かれたその栓に指を掛ける。親指を引き上げると同時に響き渡るはずであった小気味良い炸裂音は、カンカンカン…と鳴り出した不協和音のリフレインで掻き消えた。

 彼女の黒髪が揺れる。がらんどうの終列車が風を引き連れ視界を流れてゆく。鉄と風の唸り声。その騒音がやがて雑音へと変わる頃に、隠れていた例の2和音が再び顔を覗かせるのだ。カンカン

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コロニー その2

 (「海だ。」)

 彼女が右手に提げるアルミ缶は、その内容量を4分の1ほどまで減らしていた。そうして可動域を手に入れた辛口生ビールは、彼女の歩調に合わせて、ちゃぷん、ちゃぷんと揺れるのだ。その呑気な水音が別の水音に飲み込まれてしまうまで、そう時間はかからなかった。潮騒は穏やかに、しかし強かに響いている。斬鉄剣で袈裟斬りにしたような弦月をきれいに映す今宵の海は、運動不足の彼女の乱れた呼吸よりよほど

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コロニー その3

 (「なんだっけあの…風船の、アレの名前。」)

 彼女がそれを見たとき、はじめに思い浮かんだイメージは『ポリバルーン』だった。きれいにまあるくできずに、いくつも膨らませたいつかの記憶が想起される。ビニール樹脂が生む不自然なまでの虹色もそっくりで、机に並べた歪な風船たちが渚によみがえったみたいな感じがした。なにか物足りないのは、あの鼻に付く薬品臭がしないから。やはり見知った風船もどきとは別物なのだ

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コロニー その4

 風船をつくる子、生殖器官をつくる子、猛毒の触手をつくる子…。たくさんのヒドロ虫がそれぞれの役割を果たすことによって共に暮らしている。もちろん口や胃をつくる子もいて、一匹の“カツオノエボシ”として栄養を摂取しているわけだから、はぐれ“ヒドロ虫”として群れを離れることは叶わぬ願いだ。純粋な「個」として生きていくことが出来ないヒドロ虫の、その”群体”の大群を眺めながら、彼女は思う。

 (「わたしも“

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コロニー その5(終)

 ずじゃっ。靴底が湿った砂を叩く。間に挟まれた風船は音もなく割れた。突き立てた脚に体重を乗せ、彼女は割り切れない感情を単純明快な悪口に込めて放つ。

 「……のばか!」

 その一撃は海原を抉りながら、水平線めがけて一直線に進んでゆく―――なんてことはなく、数メートル先に落っこちた。思うように飛距離が伸びなかったのは、もとより小さい声量の所為だけではなかったように思われた。
 不運にも二度目の死を

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