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嘘でも容姿を褒められたい

「その髪型変だよー!」

見た目に対する自己肯定感を下げるきっかけの一番最初は、幼稚園の同級生からのお言葉だった。

母に結んでもらったので、当時は純粋に悲しかったが、その子は本当に可愛かった(園児並感)ので何も言い返せなかった。
「お弁当箱の絵は同じだけどわたしの方がかわいい」と言ってきたパッションを今となっては尊敬する。

物理的に外見を良くする方法は随分たくさんあるけれど、持って生まれた外見と共に過ごした時間のことはいつまでも覚えているだろう。

合唱コンクールで「女子はみんなこの髪型にしよう!」をした結果似合わなすぎてコソコソされたり、「〇〇は可愛いからあれだけど、お前が同じ扱いをしてもらえると思うか?(笑)」などと言われたりする中で、身の程にあったメンタルが鍛えられてきた。

それなりにアップデートは頑張っていたつもりではある。
小学生のときはめちゃモテ委員長の美容知識をCampusのノートにまとめていた。コンタクトにしてみたり、スキンケアに力をいれたり、高校では好きな人がロング派だったので髪を伸ばしたりした。

しかし大学生になってまでもチクチク言葉はまだ存在していた。

「なんで普通の女の子みたいな髪型にしないの?(笑)」
「笑顔キモ(笑)」
「〇〇さんが顔はイマイチって言ってたよ」

さすがにこの歳になると、悲しさよりも本人に堂々と言える無神経な人間を憐れに思うが、やはり言葉としては刺さるものがあった。
あからさまに態度を変える上司も然り、こいつはなぜ出世したんだろう。

逆に本当にキラキラしている子程決して嫌味を言わないし褒めてくれることが多い。
「いぬチワちゃんの書いた文面白かった!」と褒めてくれた子は人形みたいに可愛くて明るい素敵な子だった。
完全に偏見だがバスケ部も性格が良い。

顔タイプ診断、パーソナルカラー診断、骨格診断、もっと前に流行っていれば少しは変わっただろうかと思うけれど、〇〇診断に服やメイクをコントロールされるのは嫌だなと思ってしまう。

「自分磨きは誰のためにでもなく自分のために」もういろんなところで擦るほど言われているが、私の場合はモチベーションが上がるも下がるも、他人からの印象というものが切り離せないだろう。


これを言われて嫌だったなと思うことは山ほどあるけれど、こうなりたいの理想が「可愛い」なのか「かっこいい」なのか「なんか良い」なのか、結局外見のゴールはよくわからない。

日々健やかにバージョンアップをしていけたら今のところはそれでいいのかもしれない。
地道なアップデートのおかげで、いつか滝藤賢一もびっくりのピンシャキなおばあちゃんになれるかもしれないし。

ver 2023.11.21のわたしより

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