カレンダーに学ぶ固定観念

 上、右、左、下の順に、×、△、○、□に書かれている画像を見た。
 それを見て、私は「順がぐちゃぐちゃになっている」と思った。順がぐちゃぐちゃなところに意図を含ませているのだと思った。
 思ったところで、自分でハ? と思った。なんで×、△、○、□の順だからってぐちゃぐちゃなのだ?? よくよく考えれば、わたしは昔からゲームのコントローラーに触れることが多かったので、この並びをぐちゃぐちゃと称したのだろう、と結論づけた。

 その次に、「×が上ってなんかだなぁ」と思った。わたしの仮説が正しければ、その画像は「なんかだなぁ」を抱かせることを目的としているので、別に良いのだが。○が右にないのも嫌だなぁ、と思った。わたしにとって、コントローラー以外に、○とは未来を指すものだから……。

 ハ? なんで○が未来を指すんだ?
 わたしは二度目の引っ掛かりを覚えた。べつに×が未来でもいいじゃないか。これらの記号群に限らず、例えば十字架とかが未来でもいいじゃないか。なんだって、○が未来?
 そこで、わたしはふと「右が未来」だと思った。というより、「わたしにとって右に位置しているものが未来的に感じる」と仮定した。
 右に向かって走っていると、じゃあ左は過去なのだな、とナチュラルに思う。左に向かって走っていると、この人は未来が怖いのかな、と思う。左が過去で右が未来。そう考えると、たしかにわたしの中で間違いはないように思えた。とてもとてもしっくりくる、わたしにとって右は未来で左は過去だ。

 なんで?
 もしかして、カレンダーのせい?

 わたしが一発でこの考えに辿り着いたことは、自分でも意味がわからないしなんとなく奇跡的だと思った。カレンダーだ、ほとんどのカレンダーがそうだと思うが(日めくりや電子ではない限り)、日曜日をいちばん左とし、それから右に月、火、水、木、金、土、となる。土曜日にカレンダーを確認して下を見るより、それ以外の曜日に「明日は右にズレて○曜日だな」となる機会の方が多いので、わたしにとって「明日=未来は右」という固定観念が生まれたのだ。

 こうした日常の発見は人生を豊かに、創作意欲を沸かせてくれる。が、ここまで書いて思ったが、人間ってきっとそんなのとっくに気付いてるか、気付いてなくてもここまでの興奮は覚えないんだろうな。ってかんがえて、ちょっと鬱った。

 今日も未来が始まる。