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たまに会う幸果(こうか)

コンテストタグの中であ、今度コレ書こーってなってたやつ。忘れないうちに。

やってて良かったnote

一度noteやめた私ですが、noteやってたからこそ出会えた方が結構居るので日々感謝は忘れていなかったんですよ。これほんと。

中でも私に「会う」ことの大切さと価値を教えてくれたのが、陶芸家の我妻珠美さん。
みんなだいすきcocciorinoのたまさんです。

お仕事事例に描かせていただいた似顔絵❤️

なんでこんな著名な方が私なんかに?というのは最初にイイネを貰ってコメントを頂いてからもずっとずっと疑問で。色々と偶然が重なりお会いできることになった時もにわかに信じられなかったのです。

会うだけの価値

40過ぎて諸々どうでもよくなりましたが、元々かなり自己肯定感が低い私。

自分に会う=誰かの時間を貰うという発想が常にあり、誰かと会うなら何かしらのメリットを感じて貰わないといけないのではと思っていました。イベントに一緒に行くなら気にならないけど、特に何をするでも無くただ会いましょうってのが苦手で。
退屈させるのでは?輝かしい経歴もスキルもない私に、この人の時間を使わせて申し訳ない…。今思えばすごい卑屈だし、そんな風に考えてる人と会う方も重たいので違う意味で相手が気の毒ですね。

たまさんと会うことになった時、娘は生後10ヶ月の離乳食後期。手が掛かるなんてもんじゃなく、私の全てを育児に注いでいた頃。仕事もできなきゃ趣味の時間も皆無で、私の個は完全にどこかに行っていました。

自分の中で完全に私は会う価値の無い人間
そんなことを考えながら待合せ場所に行き、はじめてオフラインでたまさんと向き合った時。
まさに氷解といった具合で自然と涙が出ました。

人と会う、こうか

「こんな素敵な方が私なんかに会いに来てくれた」というのではなく、ただ会えて嬉しい気持ちに胸がいっぱいになって泣いてしまったのだと思います。

自分の価値が、相手の時間が、とかそんなことは考えなくて良くて。
会えば嬉しい。元気になれる。勇気をもらえる。リアルに作用する効果があるから、人に会う。それが会う理由。
少しずつ時間をかけてですが、その日からそう思えるようになりました。

やっぱり、会わなきゃだよね
いきなり泣き出した私に驚くでもなく、目を潤ませて第一声にそう言ってくれたのがどれだけ嬉しかったか。なんの含みも裏もなく、ただ嬉しいってやっぱり凄いです。

リモートだけでは得られないものを

前回の投稿では子供まわりのことが「そんなこと」と軽視されない世の中であって欲しい。という願いを綴りましたが、事態はますます悪化しているのが現実。

 
筒井康隆氏の短編が好きな私は不謹慎にもこのまま仕事以外もリモート化が進み「オフラインで生身の人間に会うのは10年ぶりです」(非合法な地下オフラインバーで)なんて未来もあり得る?とか空想したりして。

とはいえ今後リモートサービスは急増&発展して、感覚的な部分さえ満たされる日もそう遠くはないのだろうなと。

仕事に関してはリモートでも出来ることが次々立証されているようなので、事態が収束した後もこのままで。
プライベートでは定期的に会いたい人と会い生身で向き合う時間を持ちましょう!
健康のために!

そういう要請なら大歓迎なんですけどね。







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