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エモく書かれたニュース記事は社会を良くするのか?→むしろ社会の分断を誘発しそう

朝日新聞に掲載された、「新聞にエモい記事が増えている」「それは新聞がやるべきことではないのではないか」との提言記事が注目されている。
執筆者は日本大学危機管理学部教授・西田亮介先生。記事の公開から9日が経過しているが(これを書いてる時点で)、いまだにアクセス数ランキングの上位に表示されている。

エモい記事の要不要について、西田先生は「新聞記事の価値」という視点から論じておられる(ように思われる)。
自分は「エモい記事があって良いか」を、「エモい記事に社会を良くする効果はあるか」という視点で考えてみたい。新聞がやるべきかどうかは置いておいて、エモい記事に社会を良くする効果があるのなら、むしろ歓迎されるべきではないかと考えられるからだ。エモい記事は社会を良くするのか?良くするのならそれはどんなロジックか?について考えてみたい。

はじめに:エモい記事ってどんな記事?

「エモい記事」とはどんなものを指すのだろう。付けられたコメントにわかりやすく説明してくれているのがあったので引用する。

ある地方都市の商店街がシャッター商店街化し、存続の危機に瀕しているような場合に、
「●●商店街、すでに半数が閉店」などという見出しを付けても、たぶんあまりPVは伸びないのだろう。そこで、
「泣きながら食べた最後のカツカレー」といったタイトルをつけて、読者に「おやっ?」と反応させ、クリック・タップを誘うわけである。

服部倫卓・北海道大学教授のコメント

西田先生は記事中で、「ナラティブ型やエピソード型の記事のすべてが悪いわけではない」「結局のところ、バランス」と指摘しつつ、データや根拠を示さないでエピソードで構成する記事に対し疑問を呈している。この「データや根拠を示さないでエピソードで構成する記事」をエモい記事と定義して良いだろう。

新聞記事が、真偽不明の情報とお涙ちょうだいエピソードにあふれた通常のネットと同じであったなら、それだけのコストを払う意義を感じられるだろうか。
(中略)
特に紙の新聞においては、掲載できる記事の総量に限りがあるだけに、読者がそのナラティブなりエピソードを読まなければならない理由を、デジタル以上にはっきりさせる必要がある。

「その「エモい記事」いりますか 苦悩する新聞への苦言と変化への提言」(朝日新聞)より引用

エモい記事が社会を良くするのだとしたら、それはどんなロジックか

ではそのエモい記事に社会をよくする効果があるかどうかを考えてみよう。

政治記事や社会記事をエモく書くことで、社会を良くする効果に結びつくとしたら、それはどのようなステップが考えられるだろうか。

新聞の記事は「課題提起」であることが多い。ならば以下の流れが考えられるだろう。

  1. エモい記事で社会の課題が提起され

  2. エモいので注目され、その課題について考える人が多くなり

  3. 結果、多くの叡智が集まることで課題解決に近づく

記事をエモくすることで課題について考える人が増える効果があるかもね、というロジックだ。

では実際、エモい記事は課題解決効果を発揮しているのだろうか?

参考として、私が個人的に「無駄にエモくさせてるな」と思った記事で、どのような反応がされているかを確認してみた。

エモい記事は分断効果が強い

どちらも(※個人の意見ですが)必要のないエモさをタイトルから強く感じた記事だ。
後者についてはさらに、「本当に?SNSでそういう意見が多いからくらいで記事にしていない?実際に多くの人がそう感じてるって統計あるの?」とも思ってしまったものだ。

この二つの記事に対してTwitter(X)に投稿された感想を雑にピックアップしてみたが

  • 前者の記事は508件中99%がネガティブな意見

    • 台湾の怒りに同調する投稿が多数。つまりこのニュースを「台湾の感情」の記事として受け止めた人が多かったと言えるのでは。

  • 後者も684件中99%がネガティブな意見

    • 「子持ち様」に引きづられた投稿が多数。つまり「子持ち様」という問題がすでに存在していると理解してしまった人が多かったのでは。

となっており、課題解決よりも分断を深める効果が強かったのではと思われた。ファクトより感情を優先して伝えてしまう記事に対しては、感情への共感(もしくは反共感)コメントがつきがちになるようだ。
そしてどちらの記事も、公開翌日にはほとんど誰も触れていなかった。一時的にネガティブに盛り上がって終わってしまったのだ。

エモい記事を書くというなら、期待されるメリットと、メリットを得られると思う根拠をまずは語ってください

朝日新聞の記者は、エモい記事が読者に与える影響のメリデメを考えていないように思う。

わたしは、「エモい」記事を、おおいに書いていくべきだと考えています。わたしたちのすぐ横にいる人たちの人生をおおいに描くべきだと思うからです。現場で取材している記者たちは、「これはビューを稼げるぞ」と思って取材をすることなど、まずありません。さまざまな当事者に話をうかがい、涙し、怒り、喜ぶ。そして、原稿を書いて仕上げていくなかで、「こうすればもっとビューを稼げる」という判断が生まれるのだと思うのです。(中略)そして新聞記者たちは自分らしいエモい記事、新聞記者としての経験をフル回転させた自分にしか書けないエモい記事を目指しているのです。

中島隆さん(朝日新聞編集委員)のコメント

上記は西田先生の記事に対する朝日新聞編集委員のコメントだが、「すぐ横にいる人たちの人生をおおいに描くべきだと思う」のはなぜなのか?は記載されていない。

コメントしている朝日新聞編集員の人たちに「記事をエモくしたことで、どのような効果を期待していて、その効果が出る根拠はなんですか」と聞いてみたい。
エモい記事に期待される社会的効果と根拠を語ってくれないので、失礼ながら「本当はPVが欲しいだけでやってることなのに、いろいろと言い訳をしているだけなんじゃないですか?」と思えてしまうのだ。

「わたしたちのすぐ横にいる人たちの人生をおおいに描く」ことに意味があるのなら、それは「世の中の課題解決に効果がある」可能性があると確信している必要があるのではないだろうか。

以下雑談

あとなんとなく思ったのは、記事タイトルにカギカッコで誰かのセリフを入れてる記事ってアレな気がするので、カギカッコ記事を排除したニュースポータルサイトって誰か作ってくれませんか。(最後は他人任せ)

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