「自衛法務」という考え方
法的トラブルが起きた時、勝ち負けを決めるのは何か。
弁護士の腕で勝ち負けが決まるのか。
いい弁護士に依頼できるかどうかが大事なのか。
確かに、弁護士のやり方で結論が変わる部分はある。
しかし、その範囲というのはさほどのものではない。
50:50の結論を60:40か、良くても70:30にできる程度の話。
トラブルが起きた後に弁護士の腕だけで100:0の完全勝利にすることはできない。0:100の負けを覆すこともできない。
勝敗はトラブルが起きる前に決まる。
法的な考え方(リーガルマインド)からすると、勝敗を決める最も大きな要素は「自分の主張を裏付ける証拠があるかどうか」である。
そして、トラブルが起きた後で証拠を作ることはできない。
勝ち負けを決める証拠を手にするには、トラブル発生前の対策がすべてである。
戦国時代の武将が戦に備えて城壁を築き、堀をつくり、将兵を訓練していたように。
そのような「トラブルに備えた証拠づくり」も弁護士がやるべき仕事の一つである。
いわゆる「予防法務」である。
しかし、このような考え方はなかなか浸透しない、理解されない。
契約書は極めて重要な証拠であるが、契約書のリーガルチェックですら必要性が理解されない。
法的トラブルにおいて事前対策を怠った場合のダメージは深刻である。
場合によっては、個人の人生、会社の生命を奪いかねない事態となる。
「そんな対策が必要だなんて知らなかった」と言っても誰も助けてはくれない。
法律は不知を救済してはくれない。
「裁判官に話せばわかってくれるはず」ということもない。
裁判所は人の思いを聞いて善悪を判断してくれるところではない。
法のルールに従って冷徹に裁くのみである。
そんな重大な思い違いが世の中に蔓延していることに危機感を感じる。
これは「予防法務」という言葉の印象も誤解の一因ではないか。
「予防」というと、「余裕があれば取り組んでおいた方がいいですよ」というような何となく甘い印象を与える。
個人的には、より適切なイメージの言葉としては「自衛法務」だと思う。
防衛するために弁護士に相談して対策しておくことは「自分の人生、会社生命を衛るためにやっておかないとマジでヤバイこと」なのである。
目には見えないが、法律の世界では現代は戦国時代である。
防衛のための城壁も堀も将兵もなく、いざ攻め込まれたときに「不誠実だ」「こんなことになるなんて世の中おかしい」「誰からも教わらなかった」と嘆いてみてもただ攻め滅ぼされるのみである。
「自衛法務」という考え方を広げるための活動をしていきたいと思う。