裁判所は真実を明らかにする場ではない

こう聞いて驚く人もいるのではないでしょうか。

でも実際そうなのです。

裁判所は真実を明らかにするための場ではありません。

さらに言うならば、善悪を判断する場でもありません。

特に民事裁判においてはそれが顕著です。

民事裁判では、裁判所は「法律の要件にあてはまる事実が証拠から認められるか」にしか興味がなく、それを判断するのみです。

「なぜそのトラブルが起こったのか」とか「関係がこじれた原因は何なのか」とか「不誠実な対応をしたのはどちらか(どちらが悪いのか)」ということについて、裁判所は興味を持ちませんし善し悪しの判断もしません。

例えるならば、裁判所は許認可を出す役所と同じです。

許認可が出るためには所定の要件があり、それに沿う形で書類の提出などを求められますよね。

裁判所も基本的にはそれと同じです。

出された書類をもとに法律の要件に従って勝訴という結果を出してよいかを判断するのみです。

許認可をもらいたくて、事業への熱い思いや、いかにその許認可が必要なのか、世の中の役に立つのかを役所で滔々と述べる人はいませんよね。

そんなことをしたところで、「所定の書類を出して下さい」「書類を出せないなら許認可は出せません」と言われて終わりですよね。

裁判所でもそれと同じです。

それなのに、なぜか世の中では、裁判所では真実を明らかにしてくれる、裁判官が善悪を判断してくれると勘違いされているように思います。

(そして弁護士や裁判所も意外とその勘違いに気付きながら、実際のところをきちんと説明しない。)

そんな誤解が不幸な結果を生んでしまっている面があるように思います。

じつはそうではないということを声を大にして言いたい。



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