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犬さんごはん 第六回「エビフライ」

どうもー!!!
1日お休みして戻ってきました!!

たまには仕事の相手もしてやんなきゃ拗ねるってもんよ。可愛くはないが。

今回はアンケート史上初の出来事が起こりました。

同着一位。
下ふたつがどちらもエビであることがバレた結果だと思います。

まあ、そんな訳で初の延長戦に突入しました。
結果がこちらです。

最後の一票を入れてくれた天使は誰かな???途中また同着で焦ったぞ。

さて、こうして堂々とエビフライについて語ることができる訳ですね。

うちは何かと言うとすぐエビを揚げます。
自分で揚げるのではなく、母が揚げます。

市販品のこともあれば、

ちゃんとイチから作ったりもします。
まあほぼ母の自作です。

ごく稀におかずがなにもない時に冷凍のエビフライが登場しますが

基本的には「ご馳走」括りの食べ物です。

盆と正月は必ずエビフライ、誕生日もエビフライです。

何故、うちはこんなにもエビフライな家なのでしょうか。
それにはいくつかの理由があるのです。

父と母が嫁姑大戦争を起こし、借家に住むようになった頃。
母のお腹には弟がいて、私はまだみっつ。兄もいつつでした。
当然好き嫌いは激しく、誰に頼ることも出来ず、母は弟を育てるのが大変だったと思います。

それでも私たちの誕生日には、好物を作ってくれる素晴らしい母でした。
当時私は「アサリのバター焼き」がお気に入りで、誕生日にはこれをねだっていました。まだアサリも安かった時代の話なのですね。

これをお腹いっぱい食べられる日がきたら、きっと幸せだろうなあ。

アサリのバター焼きには、私たち家族の夢が詰まっていたのです。

そしてある日、曾祖父の体調が悪くなったとの報せが入りました。
ふたりがかりで母を追い出した祖母と曾祖母が、「なんとかうちにきてほしい」と申し出てきたようなのです。
父は悩みましたが、母に「一緒に行ってくれるか」と頭を下げました。
母は道中具合が悪くなりながらも、父の実家へと一度顔を出したのです。

そこで、敵であった祖母は曾祖父に、「うちの若いもんだ」と母を紹介しました。
まだそっけない態度ではあったものの、母は安心したそうです。

曾祖父はその後ゆっくりと亡くなり、火葬場の外でトンボを無惨に殺しているガキどもは初めて身近な死に直面し、少しだけ成長して借家に戻ってきました。

祖母と母は一応の和解をしたので、うちには実家で作っている米が届くようになりました。
食費の負担がぐっと軽くなった訳ですね。

アサリが安い時代ということは、エビも安い時代だった。

母は友人の食品卸会社に勤めている人のコネを使い、誕生日やお祝いにかこつけては30尾ちかい冷凍のエビを買ってくれるようになりました。

私たちはエビフライに夢中になりました。

サクサク、ぶりんっ、ほぁー。

ソースの甘さと衣のクリスピー感にやられ、家計のことなどなにひとつ知らない子どもたちは猛リクエスト。
エビは徐々に買う頻度を上げられ、卸会社の旦那さんからは電話をする度に「B島(地区)のエビから電話来たぞ」と言われ、最終的には奥さんに繋ぐ時に「エビから電話」と言われるようにすらなりました。エビが電話するとかシュールだな。

幼い頃のお祝いに全てエビフライが絡むため、私はアサリのバター焼きからエビフライへと乗り換えました。
折しもその頃、「あずきちゃん」というアニメでヒーローの男の子が、「うちではエビフライには醤油だよ」と話していました。

えっなにそれ! 美味しそう!!!

早速次の機会から、「エビフライに醤油」を試すことにしました。
ソースは衣の上に留まるのに、醤油は衣に染み込んで行きます。
ぐしゃっとならないうちに、ぱくり。

「なんじゃこら」

それ以来、私は揚げ物全てに醤油をかけるようになってしまいました。
トンカツも醤油。サーモンフライも醤油。
油と醤油の組み合わせの妙に気づいてしまったのです。

そして、醤油をかけたエビフライはたいそうおかずになります。
一本で白飯120グラムは堅い。
タルタルソースが組合わさると、たった一本のエビフライでごはんをおかわりできるのです!!!

しかし、私が中学生に上がる前に、エビは値段が高騰を始めました。
食卓に上っていた立派なブラックタイガーは一回り縮み、いつものサイズは「本当のお祝いのときのご馳走」になってしまったのです。

兄弟があとふたりいるため、年にクリスマスも入れて六回は食べられます。
しかし、しかし……!!!!

できることなら毎日食べたいっ……!!!
それもブリブリのやつ!!!

兄は大学入学のため独立し、弟はピザ屋で働き始めたためクリスマスのエビフライは半減し、私のエビ欠乏症は悪化の一途を辿っていきました。

「母、今度の誕生日にはアサリのバター焼き作ってくれん?」
「いいけど…エビフライは?」
「……任せる」

そうしてやってきた誕生日に食べたアサリは、何となく、昔と味が違うように思われました。
私の愛情は、完全にエビフライに向いてしまっていた。今さら元サヤなんて……! 冷えたバターが私を拒絶しているかのようでした。

私は考えました。
まあ、歳もとったし、エビも高いし、食べる機会が減ったのは仕方がない。
しかし、胃袋が元気なうちに、一度でいいからエビフライをお腹いっぱい食べたい。
ここに等身大のエビフライがあったらなあ……。

はい、私を知っている方はもうお分かりですね。
「理想の結婚相手はエビフライ」妄想の始まりでした。

ことあるごとに「好きな人は?」だとか「結婚相手の理想は?」などと聞かれた20代。私は常にこの妄想で乗り切りました。それが以下です。

クタクタになって帰ってくると、等身大のエビフライが私の帰りを待っている。
夕飯に彼の体を頂き、キッチンペーパー状のシーツで就寝。
朝になると残していた尻尾の部分から、彼は再生を終えてまた揚げたてになっている……。

あっ!
待て!!! 引くんじゃない!!!
結構マジで理想だ!!! すまん!!!!

あとね、これはちゃんと主張して置かないといけないんですが、私は尻尾は食べる派です。
それを彼のために残しておくんですよ!!! 偉いでしょ!!!!

ちょっと人としてアレな妄想なのはよく解ってるんですが、エビフライ以上に素敵な物体と出会っていないので未だにエビフライは結婚したい相手暫定一位です。

ちなみに、エビフライに纏わる悲しい記憶というのもあります。

私の医療費が一時期家計を圧迫しまくり、めちゃくちゃ貧乏だった時期があります。
その時に、病院から帰る車の中で、母に「あんた誕生日でしょ。何食べたい?」と聞かれました。

「いや…いいよ。高いし」
「言うだけはタダ」
「…エビフライ」
「そっか…普通のエビはちょっと今は無理かな…」
「うん、解ってるからいいよ」
「!!!そうだ!!!冷凍庫にバナメイエビがある!!あれ揚げてあげる!!!」
「えっ」

流石B島のエビ。
エビはいつでも冷凍庫にある。

「あれちっちゃいから大変でしょ?いいよ別に」
「いいからいいから!!」

そうして出来上がったエビフライは、いつもの半分ほどの大きさで、数も10匹程度でした。
母は笑顔で私の皿に半分載せ、残りを父と分け合いました。
そのエビフライはいつものエビフライとは違ったけれど、味を感じなくなるほどに母の愛情が詰まっていたのです。

胸が苦しくなりながらエビフライを食べ終え、私は「エビフライがいつでも食べられる生活を目指そう」と今に至っているのです。

母よ、あれはエビフライってかポップコーンシュリンプだったよ。
でもありがとうな。

そんな訳でいい条件のエビフライがいたら私のお見合い相手として紹介してください。釣書用意しておきます。

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