見出し画像

BUTTER

BTSじゃなくってね、本の。
柚木麻子さんの。
本屋で立ち読みして、何これ面白いぞって、なんか私ちゃんと読んだらいい気がするって思って、購入して読んで。
面白いだけではなく、なるほど、、、と思うこととか考えちゃうこととかもあって、そして終わりが気になって、だからこそ読み終わるのが嫌で、わざとゆっくりじっくりちょっとずつ読んだ。
そんな本久しぶりだな。
ねぇ、女の人向けっぽい本だけど、男の人にも読んでほしいな。
この時代を生きる自分たちのことを、もうちょっとわかって欲しいから。



以下多分ネタバレを含む。そして共感と新鮮な発見、、のようなものが多過ぎて、長い。


・料理とは、豊かさとは
タイトルがBUTTERなだけあって、バターはもちろん、たくさんのお料理に関する内容が出てくる。そしてトライしてみたいような絶妙なそそる表現。エシレバター買って、炊き立てのご飯とお醤油とで食べたのは私だけじゃないはず!夜中のラーメンもアホみたいに美味しいよね。あぁかおたんに一蘭。時々つるとんたん。六本木の夜が懐かしい、ってのは置いといて。
料理という存在が、いろんな人の生活、考え方、行動などの根幹になっていて、人間にはものすごく大事なファクターなんだなって改めて気付かされた。私は料理が嫌いじゃないけど、得意じゃない。料理学校も行ったことない。自炊も、照れ隠しなんだけど「苦手、しない」って言っちゃう時も多い。本当は少しするけど。もっと料理、そしてそれを通して自分と向き合う、的なことをしたらいいかもな、、と思ったり。

“食べたいものを自分で作って、好きなように食べる。
これを豊かさと呼ぶのではないか。”
ほんとそれよね。ま、買ってきてもいいよね。。

・へ、そうなの?そうなのかもしれないな、、知らなかった女の心理。
私は女性だけど、主人公の一人、カジマナから、私が知らないで生きてきた、感じないで生きてきた考え方や感情に触れた。このキャラクターの考えを100%受容、傾倒する気はないけれど、「知らないことを知る」という読書の醍醐味を味わったと思う。

”男性を喜ばせるのはとても楽しいこと。違いを認め、彼らを許し、楽しませてサポートする。誰かを欲情させるのはすごく楽しい”

私って女だったっけ?はて。
まぁ確かに喜んでもらえたら嬉しいけど、それって別に男性だからじゃなくない?好きな人、大事な人だからじゃない?まぁ友達は大事であっても、欲情させて楽しい、みたいなのはもちろんないけれど。好きな人を欲情させて楽しいって、それってただの優越感じゃん。

”仕事だの自立だのにあくせくするから満たされないし男の人を凌駕してしまって恋愛が遠のくの。男も女も、異性なしでは幸せになれないことをよくよく自覚するべきよ”

別に男の人を凌駕しようと思って勉強、仕事してきてないんだけどな。。確かに異性と一緒だと(ていうかやっぱり、好きな人、じゃないのかここは。私はLGBTQ+じゃないけどさ。なんとなく。)幸せな瞬間、幸せな時間があるけれど、同時に、辛さを持ってくるのもその人だったりしない?あれ、違う?、、、なんだか言っていることが、エクストリームすぎて妙な納得感。

”カジマナは何よりも自分を許している。己のスペックを無視して、自分が一人前の女であることにOKを出していたのだ。大切にされること、崇められること、プレゼントや与えられること、労働など苦手なことから距離を取ること。”

自分を許す。。。自分でしかできない、果てしなく難しそうなこと。

・私もこれ。共感がすぎる。
”自分であらゆる面で満足点を与えられないでいる。”
上記の、自分を許す、ということに似ているけれど。もっともっと、とか、ここじゃないんだ、とか考えがちだし、何より今の自分に満足してしまったら、人生つまんなくない?っていう発想だから、この里佳の言葉に共感してしまう。「しまう」ということは、本当は共感したくはないのかもしれない。

“日本女性は、我慢強さや努力やストイックさと同時に女らしさと柔らかさ、男性へのケアも当たり前のように要求される。その両立がどうしてもできなくて、誰もが苦しみながら努力を強いられている。両立したところで、私たちは何にも救われないんだって。いつまで経っても自由になれっこないんだって。”
本当にさ。両立したところで、救われないんだよ。いい大学出たり、学位や資格を取ったり、大企業に勤めても何ヶ国語話せても、結婚しろ、母になれ、そしていい母になれ、ってなるし、そして男性には「すごいね」って言われるたびに少し傷つく。柔らかい子犬みたいに可愛がって欲しいのは、こっちなんだけど。どうして私が、私たちが、あなたを、あなたたちにここまで気を遣わなくちゃいけないの?私のここまでのことは、私の好奇心や向上心で築いてきたもので、誰かと張り合うためのものなんかじゃない。だから、そういうところにばっかり焦点を当てるのは、本当はやめてほしい。かといって、見た目だとかに焦点を当てられるのも本当に悲しくなる。努力を続けてきた姿勢、頑張っているその志や心意気、苦しみながらも人に優しくいようとしている人間性を見てほしい、できたら褒めてほしい。こう思うことについては、もしかしたら性差は関係ないのかもしれない。そして、私が自分がしてほしいことを周りの人にしてあげられているかと言われると、できてはいない。精進します。。

・考えさせられたこと
“こんなふうに、いるだけで誰かを安らがせる存在になれたらどれほどいいだろうと思う。”
仕事で世の中と繋がって、社会の役に立ちたいとずっと考えて、生きてきてから、「居るだけでいい」がイマイチピンときていない。もしも「あなたは居るだけでいいんだよ」って言われたら、少し救われそうで、そしてだいぶイラッときそう。私には居るだけ以上の価値があって、世の中にそれを還元したいんだからって。驕りかな、こういう発想は。

“自分から動かなければ、愛されない。動いたところで、愛される保証もない。そもそも、愛されるってなんなのだろう。必要と思ってもらえることだろうか。ならば、人の役に立つ私がどうしてこんなにぽっかりと惨めなのだろう。”
こんなに共感するタイミングも表現もないんじゃないかってくらいぶっ刺さり、かつ考えさせられること。人の役に立ちたいって小さい時から思ってた。「役に立つ」の意味をそんなに考えずに。バリバリ働いて昇進して、たくさんの部下を持つことと履き違えていたのかもしれない。たくさんの言葉が話せれば、話せない人を助けられるから、役に立てる、だからたくさんの言葉を話せるようになりたい。(もちろんより多くの人と会話ができるようになること自体も嬉しい)そんな風な発想で、知識の習得だったり学業や仕事に取り組んできた気もする。だけど、実際それで目に見えない誰かの役に立っていたとしても、例えば今の仕事を通しては自分はその実感がないから無為に思え、どれだけ仕事を頑張ったとしてもなかなか満たされない。それだったら、勉強や会社での仕事なんか一切しなくて、家庭に入り、子育てして、次の世代に命を繋いでいく方がよっぽど社会の役に立つのかもしれない。認めたくないから、辛いね。そして、どれだけ好きな人に愛されたくて動いても、噛み合わないことも多い。愛されない愛されてないって感じて、悲しくて辛くなっちゃう。生きることは楽しく幸せなことなはずなのに、事象や感情を細かく掘り下げていくと、辛いことの方が炙り出される気もしてしまうから、楽観的で大局しか見ないことが幸せな人生を送るコツなのかもしれない。わからない。

・"自分が望むように相手が動いてくれるのが人間関係だと思っているみたいだけど、そういうものじゃない。予測不可能だし、思い通りにはならないし、どんどん変化していく。"
他人はコントロールできない。どれだけ自分を好きになって欲しくても、努力や行動はできても、他人の感情は他人のもので、自分の思うようにはなってくれない。「あの時はこう言ったじゃん」という言葉みたいに、過去と今で思いは変わるし、なんなら人間が言うこと全てが本心とも限らない。人間関係って、見なきゃ楽だけど、面倒だけど、人間でいることの醍醐味なのかもしれない。

多分まだまだ思ったことはあるけれど、一旦区切りをつけよう。
自分と違う発想から学ぶことは多いし、人間って面白いなって思う本。

私と違うあなたは、同じ本を読んで、何を思った?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?