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トーキョーで生きる

私は東京で生きるために、きれいな私を取り戻そうと決めた。きれいな私は、よく笑いよく遊び、友人達とどこにでも出かけ、映画をみて泣いて、そしてよく眠る。朝を喜び、太陽に感謝して、たまに落ち込んだりふさぎ込んだりするけれど、仕事や故郷を思い出して、深く考えずによく笑う。美味しいご飯を食べて静かな夜に酒を飲み、たばこを深々吸って音楽を聴く。そんなことも在ったねと、一人で笑って寝てしまう。心の波を立てないように、深夜木造アパートと航海することもない。純朴な私を神だと思う青年との可能性もあるのかもしれないと、少しだけ考えてみる。

ぐちゃぐちゃのどろどろ、例えば冷蔵庫で溶けた君とナスと豚肉が吐瀉物の色をして、私の心に居座っている。昔の私は夜になるとよく泣いて、包丁と睨めっこしながら明日というものを考えて、眠っても極彩色で尚且つファンタジーな夢を見て起きたとたんに疲弊して、太陽に恨み節を並べながらたばこを吸う。友人達と会えば疲れるので極力会わないようにして、でも心配だけはしてほしいからうまい方法はないかと考える。母も父も戻れない事を知っているから鉄塔に血で名前を書いてみたりする。生まれた不安の種をひとつぶひとつぶつまんでは、いつか終わりがくるのかと考える。静かな夜は鎮痛剤を飲んで赤い斑点が暴発することを望み、酒で満たされる骨の隅々にきみの精子を夢見た。美味しいご飯とは疎遠になって、黄色いトイレの奥から手招きする少女の手が私の胃を撫でて泣いた。君のほうが辛いから、どうすれば身体を痛めつけられるのかと冷蔵庫と話し合いをした。昼間の記憶はほとんど無く、夜の時間だけが濃厚に牛乳の中に溢れた。私のことを神だと言った青年の足取りはそこにはなく、ただ隙間の街の君だけがありありと生きていた。たまに掬い取る君のゲロを食べたりした。

どちらでもない私は、なにもせずに座っている。たばこを吸って、こんなことを書いたりしている。東京と故郷について考えて、季節の変わり目に風邪をひいた。神を望む青年との可能性はやはり途絶えてしまった。そうして排水溝に股間から溢れる血とともに流してしまった。君との可能性が事実として埃の中に舞っていて、私はアホみたいに嬉しいとか楽しいとかを連呼している。酒はやめたしたばこの本数は減って、ご飯をゆっくり食べ始め、しかしまだ美味しいご飯とは疎遠だけど、でも着実に“―――――”という言葉に近づいている。赤い斑点は身体から徐々に消えて友達とは会わないけれど心配をかけることは無くなった。消えうせた可能性達は新幹線に乗って京都へ行った。京都タワーのふもとに金髪の少女が埋めてくれた。ぐちゃぐちゃのどろどろ、という私の私にとってのそれだけの事実。私は勝手に生きている。くさい糞をして尿を撒き散らして。

#詩 #散文

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