トレーナーになり人生が繋がりました(心構えのお話)
おはようございます。
タカシです。
今日も早起きです。今日は飲まれないように「元気に起きれた!!すっきり!!」と冷水で顔洗ってみました。
ー人生は無駄なことはない(自分にとって)ー
どれが普通の人生かはわかりませんが、僕の39年間は少し他の人と違う道を歩いたような気がします。
ファミコンを持っていなかったり、当時のお気に入りが野良動物(鳩・犬etc.)を手懐けたり捕獲してみたり。
勉強が出来なかったり、集団生活が苦痛だったり、異常なほど読書好きのくせに言葉を知らなかったり、0点とったり。。。
就職先が携帯の電波が届かない僻地の入り江だったり、社会常識がなかったり、筋力体力ないくせに知的労働をすると3時間が限界だったり。
音がうるさかったり、意識が広がったり、人の目を見れなかったり、目の形で感情を勝手に深読みしたり。。。
原付でこけて鎖骨折ったり、部屋の四隅の黒い塊が迫ってきたり、精神を病んだり、初入院が精神科だったり。。。
復職・再発・離職を繰り返したり、回復し服薬・通院ともに必要なし!と医者に太鼓判を押された瞬間に勤務先休業からの閉店だったり。。。
トレーナーとして独立したり、アルバイトで用務員してたり。
書いていくと苦手なことばかりですね。
これが今全部プラスになっています。
ー苦手だから教師ができるー
僕は社会科の教員免許保持者です。得意教科は国語と生物です。
じゃあ、国語か理科(生物)の免許を取ればいいじゃないかと思われるでしょう?行った先(大学)が社会科の免許しか取れない学部だったという物理的な問題もありますが、この2つの教科は教えることができないのです。
「わからないことが、わからない」この言葉は勉強が苦手な生徒側が使う言葉のように言われることが多いとは思います。
教師側も使わせてください。
「わからないことが、わからない」んです!!
国語を例に挙げると、漢字はできません!語彙力もありません!でもこの2つは教えるのではなく反復訓練をさせるものです。
古文・現代文ここです。
答え書いてあるじゃないですか?2度読みしたら作者の気持ちも見えてくるじゃないですか?古文?レ点?なくても何となく読めるでしょ?面白そうなら現代語訳よんでから原文読んだらいいじゃない?
「本を読んでください。」
で終わってしまうのです。
「このアニメ(漫画)めっちゃ感動した~。」「この曲最高!!」「泣いたわ。」
それって国語力(感情の共有)僕よりあるじゃない。
「わからない?どこが?てか何が?」ってなってしまいます。
どこで躓くのか?躓く石はどれか?がわからないのです。
その点、社会はいいですよー。躓きまくったから。小石どころか砂ですら足ひっかけました。
「わからないことが、わかる」んです。
数学はダメ。。。コケてけがしたから。分数の割り算で。
これはトレーナーとして独立するとき大きな気づきです。動物に関しても「わからないことが、わからない」状態でした。
「今その子が『あってる?』って聞いてるじゃないですか?」「『あってるよ』って伝えてあげて。」ではダメなんです。
「犬が体から出す感情の空気を見て。」もっとダメですね。
ここに気づけたのは専門学校の時でした。
当たり前に出来ていた、動物の感情変化を見ることなどが全く出来なかったのです。1頭として僕の言うことを聞いてくれず、人生で初めて動物がいる施設を登校拒否しました。
僕の精神状態がおかしかった(きつめの安定剤を飲まないと人と会話できない)からです。
この病気に感謝していることは2つ。
①動物で躓く石を教えてくれた事。
②薬に頼らなくても意識の広がりを抑える事ができるようになった事。
ー意識の広がり?-
さっきから「意識の広がり」という言葉を使っています。
わけがわからない言葉だと思います。
僕の感覚を上手く伝えるにはこの言葉しかなかったのです。
武術的には「観の目」「遠山の目付」とか似た言葉はあるみたいですが、そんなかっこいいものではなく。広がるんです!!
教室に入ったとします。その空間すべてが自分に入り込むのです。見えるとか感じるとかではなく自分に入り込むが適当だと思います。
犬にはテリトリーがあり、知っている場所、行動圏、物理的に守りたい場所、絶対に侵されたくない心理的な場所とどんどん小さな円になっていきます。
とお客さんには説明しますが、当然人間にもテリトリーはあります。
このテリトリーが広がり見渡すことができる場所に立っている自分がいるイメージが一番近いかもしれません。
こう書くとかっこよさげですが、本当にきついんです。
ビクっ!!ってなるんです。
他者の小さな悪意が。
見なくても必要のないものが見え身構えてしまうんです。
ー横で座っててー
支援級に勤めていた時に先輩に言われました。
自閉症スペクトラムの生徒のサポートをしていた時、何をしたらベストだろう?と頭を使いまくっていた時「何もしなくていいから、この子の横に座ってって」と言われました。
一瞬戦力外通告のように感じましたが、学校という他者(守るべき対象)が多い環境につかれていた僕はただただ座っていました。
一緒に風を見て、一緒に光を感じ、木の音を聞き、チャイム!!どこか自分を小ばかにした笑い声、強そうな人の声、「ダメ」という怖い音、怖い怖い。。。
そっか、時間が終わるからチャイムが嫌で「何時?」って確認するんじゃないんだ。
トレーニングを始めたころの対象で攻撃性の強い柴犬がいました。
カフェもお客様がまだまだ少なかった時期だったので、ただひたすら横に座り本を読んだりタバコをすったり。
柴犬の世界に入らせてもらい、共有させてもらい、恐怖や怒りを感じ、その対象が何か気づき、予測できる対象は「来るよ」と教えて。。。
「この犬とは関係とるのは難しそう。」「どうやって取ろう?」と考えていた僕が馬鹿みたいにすっと関係が取れました。3日ほど横に座らせてもらえた時間的余裕が大きかったと思います。
意識的に意識を広げたり狭めたりが多少できるようになった事も大きかったと思います。
ーすべてが繋がるー
すべてが繋がりプラスになる時期が必ず来るのだと思います。
お金を稼げるとかが自分にとってのプラスであればそれはないかもしれません。
でもプラスになります。
きっと。
僕は何となくですが病気などのマイナス体験もプラスに変化しているような気がしています。
お疲れ様でした。
長文乱文にて失礼します。
お付き合いいただきありがとうございました。
2019年5月末に出張型ドッグトレーニングスクールを始めました。 犬と飼い主の関係づくりのお手伝いをモットーにやらしてもらっています。 アイコンタクト アイコンタクト とばっかり言う地味なトレーナーです