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【ボクシング】西岡利晃を知ってくれ。

日本時間で6月20日、井上尚弥選手の待望の世界防衛戦ですね。

ここ数試合、ボクシング主要4団体の世界王者経験者、世界挑戦経験者ばかりを相手にしてきた井上選手からすると、今回の相手は久しぶりにちょっぴり休憩と言った感じかもしれません。

海外挑戦のパイオニア達

どのスポーツにも、多くの日本人選手が海外に進出するきっかけになった挑戦者がいます。この記事にまとめられていますが、この人達が島国をでて海外に出向いたおかげで、後進の人達がより海外進出しやすくなり、その種目における全体のレベルを高めることに繋がります。

ボクシング界のパイオニア

直近20年の中で、4団体の全階級合わせて日本には50名程度の世界チャンピオン経験者がいます。しかしその中で、アメリカ、ヨーロッパなどボクシングが興行として盛んな国で世界戦をしたのは8名程しかおらず、その中でも防衛を成功させたのは直近の井上尚弥選手を入れて3名程しかいません。

その一人であり、キャリアの中でも海外の強豪選手と海外での防衛試合が目立つ西岡選手は、まさに近代の日本ボクシング界においてパイオニアにふさわしい存在だったのではないでしょうか。

日本はハングリーではない

ボクシングというのはかなりハングリーなスポーツですが、日本は決してハングリーな国ではありません。海外の強豪やスター選手にアピールをして海外に出向いて試合をするよりも、国内で日本企業のスポンサーをたくさん集めて試合をした方が、あらゆる面でメリットが大きいです。

ガラパゴス化しやすいエンタメ業界

これはボクシングに限らずショービジネス、エンタメ性の高い業界全般に言えることですが、英語圏でアピールして世界のニーズを掴むよりも、日本語で日本人を相手に手堅くPRした方が懐が潤う産業構造になっています。

そのため日本では防衛○○回のすごいチャンピオンと騒がれても、海外のボクシングファンや団体からすれば「誰?」という人がたくさんいて、選手は海外の強い選手と戦いたいと思っていても、プロモーター側の交渉でまとまらないことが多いみたいです。

苦境を乗り越え5回の世界挑戦

西岡利晃選手は10代終わりから20代前半にかけてイケイケで尖ったスタイルで注目を集め、メディアからは世界を確実に取れる天才ボクサーと持てはやされていました。

しかしその後、同じ対戦相手に4度も世界挑戦し、2敗2引分でベルトを取れず、その最中でアキレス腱断裂という怪我もしてしまい、27歳の頃にはジムから引退を勧められメディアからも完全に見放されてしまいます。

そんな絶望的な状況のなか本人だけは夢を諦めきれず、階級をバンタム→スーパーバンタムと1つ上にあげて、ジム側の尽力もあり4年振り5回目の世界挑戦で強さが曖昧でよく分からない相手と戦い、判定勝ちで念願の世界タイトルを手に入れます。当時32歳でのまさに悲願のベルトでした。

2度目の防衛戦:風穴をあけた左ストレート

念願の世界タイトルを取った西岡選手でしたが、年齢的にもこれまでの戦績からしても、誰もが世界チャンピオンになれて良かったねレベルの選手だと思っていたのかと思います。ただでさえ世界チャンピオンやベルトが乱立している時代なので、メディアも西岡選手を特別持ち上げることはありませんでした。

アウェイでジョニーゴンザレスをKO

そうした背景もチャレンジ精神を駆り立てのか、西岡選手は2度目の防衛戦でメキシコの人気選手との試合を敵地で行います。相手は後に日本のエースこと長谷川穂積選手を倒すモンティエルにも勝利しており、後に長谷川選手にもKO勝利をすることになるジョニーゴンザレスという選手です。

西岡選手はチャンピオンで相手は挑戦者という立場ですが、世界的な強豪選手にも勝っているジョニゴンの方が遥か格上と思われていたようです。

※動画はとりあえず12:00-から見てもらえれば大丈夫です笑

このKOはモンスターレフトと呼ばれることになり、世界戦の年間ベストKO賞も受賞しています。また日本人としては26年振りにアウェイでの防衛を達成したことなります。

この時点で日本国内では、6度ほど防衛をしている長谷川穂積選手がメディアでは取り沙汰されていましたが、世界のボクシングファンやメディアからは西岡利晃選手の知名度が遥かに勝ることになりました。

7度目の防衛戦:聖地で歴戦の猛者とのビッグマッチ

上記の動画の20:00〜のあたりで、メキシコのインタビュアーが「同じ階級にマルケスがいるけど、またメキシコで試合をしたいかと思うか?」と尋ね、西岡選手が「誰とでも闘う」と答える熱いシーンがあります。

この動画ではカットされてますが、西岡選手が握り拳で「誰とでも闘う」と答えたのをインタビュアーは訳を聞かずに話を切り上げており、トレーナーさんが「おいw訳させろよ」と突っ込んでいるのが別の動画では映っています。

日本の総合格闘技で例えると、RIZINで弱いと思ってたよく分からない外国人選手が朝倉海選手を速攻でボコしてしまって、その後日本のインタビュアーが「また日本来て堀口選手と試合したいか」と言ったら「誰でもやるよ」とドヤられ気まずくなったような感覚でしょうか。

ラスベガスでラファエルマルケスとの試合

話を本題に戻しますが、防衛を続けた西岡選手は、上述のインタビューで出て来たラファエルマルケスと、2年の歳月を経て本当に試合をすることになります。試合はMGMグランドという有名なリゾートホテルの会場です。

細かな話ですが、例えばメイウェザーのような選手が普段試合をしているのはMGMグランドのメイン大会場であり、この興行はもうひとつの中規模会場で行われたものです。サマソニでいうと千葉マリンスタジアムと幕張メッセの違いみたいな(雑な説明)

まぁこれは西岡選手のラスベガスで試合をしたいという気持ちと、ジム側やプロモーターも日本人がラスベガスでトリを務めた歴史を作りたいという思いが実現させたことなのでしょう。

メキシコで兄のファン・マヌエル・マルケスと弟のラファエルマルケスは国民的スターであり、兄弟揃って複数階級制覇、年間のベスト試合賞受賞をしている名選手です。

井上尚弥選手が今現在2-5位あたりで入っているPFP(階級無視して強いのはだれかランキング)に兄弟どちらも入っていた時期もあります。

試合は玄人好みの展開で西岡選手の完封勝利となります。ゲスト解説でボクシングマニアの香川照之さんが興奮しっぱなしなのが面白いです。実際私のようにちょっと有名どころを知ってるだけで、決してマニアではない層の人でもこのラファエルマルケスは知っている選手だったので、この試合は今までの全スポーツの試合で一番ドキドキハラハラしながらテレビで見ていたかもしれません。

ラストマッチ:ドネア戦

ラファエルマルケス戦での勝利により海外での知名度をさらにあげ、ラストマッチとして日本でもお馴染みのノニト・ドネアとの試合をロサンゼルスの会場で行います。

身の上話で全く関係ないのですが、この試合をテレビで見たとき私は23歳ぐらいだったと思いますが、翌日に初めての海外旅行で友人とロサンゼルスやラスベガスに行ったので、色んな意味で思い出深い試合でもあります。

井上選手がさいたまスーパーアリーナで激戦を繰り広げたのが2019年11月7日で、西岡選手が戦ったのは2012年10月13日なので、井上選手が戦う7年前の試合ということになりますね。

この当時のノニト・ドネアはキャリアの中でも特に最強と呼ばれていた頃で、実際PFPでもメイウェザーやマニーパッキャオのような歴史に残るレジェンド達がひしめく中で3-5位にランクインしていました。

結果はドネアの左フックを過度に警戒した慎重すぎる戦術が裏目に出て、大きな見所を作れないままKO負け。

これは後半ドネアの詰めが甘くなるのを狙っての戦術でもあり、当時のドネアは左フックで相手の頭蓋骨を骨折させていたりもしたので、西岡選手を無事に引退させてやりたいというジム側の意向もあったのではないでしょうか。

どうせならもうちょっと思い切ってアグレッシブに行って欲しかった、というのがファンの思いだったと思いますが、まぁ当時のドネアの強さは今以上にチートだったので仕方がないことだと思います。

まとめ

イギリスの国民的ロックバンドであるオアシスは、ストーンローゼスというバンドがそこそこの成功を納めていることから確信を得てデビューしました。米国で音楽シーンを一変させたニルヴァーナは、その前にソニックユースのようなバンドがそこそこ大衆にウケていた土壌があってこそ革命に繋がりました。

今は日本ボクシング史上最強の井上尚弥選手のチートっぷりが輝いていますが、これはどの世界においても、そうしたチートが生まれる土壌を形成した存在が必ずいるものだと思います。

その業界に詳しくない人からすれば、チート的な存在しか目には映らないでしょうが、少しその分野に詳しい人からすれば、そうしたパイオニアはチートと呼ばれる存在と同じくらい偉大なものなのではないでしょうか。

そうした意味で私はボクサーとかアスリートとかそういう垣根を超えて西岡選手を尊敬してますし、試合でもう見ることはありませんがリスペクトし続ける存在だと思います。

今回井上選手の試合があるということで、思いつきで西岡選手の紹介ができたらと思い記事を書かせて頂きました。

最後に西岡選手の入場曲であるU2のDiscothequeを貼っておきます。

P.S 井上尚弥選手が劇的なKO勝利を飾りますように🙏

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