越境

越境10 残雪 その2

※哉村氏とのリレー小説です。前回はこちら。第一回はこちら

 不思議なことにここにやってきてから三日ほど、まったく空腹になる気配がなく、明らかに妙なことばかりで、夢をみているのか、もしくは死んでいるのじゃないかと疑い出したころだった。朝起きて、あ、おなかがすいた。と思ったので、流石にあの世じゃなかったのか、ぼんやりと考えながら身づくろいをして部屋を出るとちょうど別の扉から出てきた残雪と鉢合わせた。

 今日は早いな、と彼が思ったらしいことは解った。耳の際奥、頭の裏側にぽんと浮かぶ声が他者のそれであるということには、この数日で随分慣れたと思う。そして彼が多分香港かどこか出身のとりあえず中国人だということも解っている。苦手な英語だけではなくなんとか漢字をまぜてやり取りができる人間がいるのは助かる。胸ポケットに入れていたノートからちぎった紙を取り出して、何か、食べるものを知らないか? そう問おうとしてペンを持った瞬間、腹の虫が盛大に鳴いた。

 ぽかんとしたあと、残雪はさも面白いものを見たかのように、ケケ、と笑った。食堂に行こう、と耳の奥で声がしたので頷く。多分、頬は赤くなっている。

 白くてねちょねちょしてざらつきのあるそれをみて、行彦の脳裏にはまず「粘土」それから「床材」という単語がよぎった。およそ食べ物とは言えなさそうなものは、見た目どおりの味がした。目の前の残雪は黙々とそれを口に運んでいる。樹脂製らしい匙が、同じ材質の皿に当たって軽い音を立てる。

「なあ、今おれが言っている意味は解るんだろ」

 中国語の小声というものを聞くのは初めてだなと行彦は思って頷く。相変わらず脳に直接響く声は日本語だ。

 ならいいよ。解らなかったらなんか言え。解るんだったら黙ってろ。お前の能力は念話ってやつだな。ここではバキリが、あの黒人の小さいのが同じことを出来る、普段はやってないけどな。本当は昔は何人か居たけれど、今人間のままでそれが出来るのはお前とバキリだけだ。あいつが人間ならだけどな。俺が知っている限りあいつはもうずっとあのままだ。老けねえんだよな。

 お前出力は出来ないのか。なんか考えてみろ。模様とかでいい。考えたか? 駄目だな。無いのか。ある程度言語化された思考しか読めないで合ってるか? 言葉になって聞こえるみたいな。うん、解った。

 俺もそういうのがあって、瞬間移動。一応ルールも教えとく。なにかお礼の品物を用意して、俺を呼ぶ。そしたら来る、って寸法だ。そのペンとか紙は駄目だけど、絵とか描けばいける。お前日本人だろ、折り紙とかでもいい。あとそういうのがなくても壁の向こうに行くくらいは出来る。期待すんなよ。外には出れなかった。なんかそういう超能力みたいなのはここにいる全員が持ってる。種類はいろいろだ。手を触れずに物を動かしたり、火を思い通りに出せたり。大したことは無い。脱出もできてないくらいだからな。不味そうに食うなよ。その顔見てるとこれが食い物の味じゃないこと思い出すだろ。肉や蟹とは言わないから俺もせめて玉子サンドとか蒸しパンとか食いてえよ。

 俺達が飼われていることは解ったな? 誰がそんなことをしているのかは正直知らない。教室と食堂はある。別に行かなくてもいい、ただ、他にやることが何も無いからみんなやってるだけだ。教室ではこの間みたいに机が光るのをどうにかすればいい。大体やらされるのは簡単なゲームだ。模様当てとか。他には一応年が上っぽいやつが下のやつに教えるってことになってる。お前は数学ができるみたいだから気が向いたら教えてやってもいい。マイケルっていうチビがいるから、あいつなら喜んでやるだろう。

 大体解ったな。ようするに暇潰しだ。ここから脱出できた人間は多分いない。見たみたいに、何かになるか失敗して消えるか。多分、逃げれてはないと思う。そんなんじゃなかった。他になにかあるか?

 問われて訊きたいことを考えてみるが、どこが解らないか解らないやつだなと行彦は思った。こんなに何もかも解らないとすこしおもしろいとすら思ってしまう。知らないうちにすこし笑っていたみたいで、目の前の残雪が気味悪そうにしている。

 食堂は教室とさして変らない大きさだったが、正立方体ではなく横長で、天井も普通の部屋の範疇の高さだった。木でできた茶色い細長い机が二列になって並んでいて、等間隔に揃いの椅子が置かれている。映画でみた、ヨーロッパの修道院のみたいだと行彦は思う。深さのある白い皿に盛られた何かは匙で掬うと筋が残って、そしてだんだん両側が盛り上がってきて、また平らになる。何かに似たような味だと思ったが、思い出せなかった。

 皿が七割くらい空いたときだった。不意に残雪が立ち上がり、言った。冷たい声音だった。

「呼ばれてる」

リレー小説です。次回執筆中。

下記相手方からのコメントです。

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