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I can buy myself flowers
あっという間に37才の誕生日を迎えた。
最近の私は、季節と気圧の変化差とお決まりの抜けない疲れと運動する気力がない運動不足で自律神経をやられている。病院に行っても、結局病原がわからないものは、たらい回しになるのがお決まりだ。
健やかでいるために努力が必要な年齢になったことは間違いない。これまでみたいに好きなことを優先して、リズムを無視して、好きなことだけに時間を使うとすぐバランスが崩れてしまう。永遠に映画やアニメやドラマや本を読んでたらダメなのだ。それも若さゆえにできた事のひとつで、まず肉体を維持しなければならない。
このくり返す不調のせいで、自分がどこで無理をしているのか、何が良くないのか、どうしてそういうことになるのかもわかるようになってきた。縦横無尽にぶつかっていくエネルギーは大人にはないのだ。省エネ、ショートカット、自分のくせ、人を頼る、任せる、あきらめる、自分とルールを作る。少しずつ対処しながら、雑草の根っこを抜き続けるのである。
人はそれぞれの人生があって、それぞれの業がある。一見得をしているようでも、大損をする人をたくさん見る。世の中はうまくできているとも思う。いまは損をしていても、着々と力をつける人もたくさん見た。損することは結局、乗り越えることで誰よりも強い経験を得ることでもあるようだ。
人はみな似たような苦労をしていて、まるで違う人生を歩んでいる。私は普通に生きているけど、世の中にとって良い人間になれているかは不明だ。
ただ、「大人になって幸せか」と子供の頃の自分に聞かれたら、「だいぶ幸せだし、自由で豊かだよ。苦しい時も辛い時もあるけど」とは言えるかもしれない。
世の中が嫌になる時はもちろんあるけども、世の中が美しいと思う日や心満たされる日々も多い。それは毎日のふとした瞬間に感じることで、誰かによってもたらされる時もあれば、自分自身や自然やちょっとした物事から与えられる時もある。
いろんな人がいろんなことを瞬時に判断して他人を消費している世の中で、自分を主張し続けるのは私には億劫で疲れることだ。かといって、世の中が求める"ふさわしい役割""ふさわしいふるまい"に準じることもできない。体と心を直ぐ壊してしまう。難儀な人生なのだ。
だから、わたしは映画や本や音楽、舞台に漫画にアニメをみる。
Disney+でしか配信がないのが残念だが、ソウルフルワールドで描かれた人生の意味や美しさはふとした毎日が尊く思えるし、マイリー・サイラスの「flowers」はすごく勇気をくれる曲だ。
精一杯やってうまくいかなくても、私は私自身をケアすることができる。世の中は本当にうまくできている。それだけは忘れずに37才を生きていきたい。
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