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ドイツ人の子と戦争について話した話

スペインでちょっとだけ語学学校に行った。気質が合うのがドイツとスイスの人たちだった。よく話を聞いてくれたのはドイツの子で、その子繋がりで数人と話をした。

「多くの日本人は自分の国から出ないって聞いてる」と意見強めのドイツガールから突如言われて、「そうね、わざわざ外に出なくて良いと思っている人が多いからね。北と南で気候もかなり違うし。」と返した。

彼女はわたしの様子を数日見ていて、ある程度観察した上で話しかけてきた感じだった。「見られてんな〜」とは思っていた。

「それって変よ」と彼女は続けて聞いてきた。
「わたしもまあそう思うよ、ただみんなからすると何時間もかけて好奇心だけで日本から出るわたしの方が変だと思うみたいだね。」と返した。

強めのドイツガールは「えー!なんで!?世界にはいっぱい国があるのよ?知らなくていいの?」「ありえない」「クレイジー」的なことを話していて、「日本は島国だからみんな島の中で困ってなくてそこそこ平和なんだよ。他の国とも遠いし。島の中が困って誰かがレール引いて安全だと思ったら出るかもね。」と伝えた。

終始腑に落ちない具合で、不思議そうに意見していた。わたしはこう思う、という姿は多分普通の日本人から見ると「怒ってる?」「まあまあその辺で…」とちょっと怯えそうだけど、わたしはそれが「わたし心配!」という言葉に感じたので、性根が美しくてとても魅力的な人だなと思った。

別の日にいつもの優しいドイツの子と、ベジバーガーを食べに行った。

毎度「ベジだけどいいの?」と聞かれる。とても優しい人だと思う。こちらは「あれ?!ひょっとして迷惑!?」と思って「もし他の誰かと約束してたら遠慮するよ」と前置きする。「そういうことじゃないよ、大丈夫!じゃあ行こう!」と返してくれる。それでも気になる様子だったので、

「わたしは仕事が食べ物に関することだから、なんでも知っておきたいの。日本は普通に野菜だけの日もあるよ。例えば豆腐とか。だから大丈夫。あなたは最初からベジダリアンだったの?」

「最初はお肉も食べてたけど、肉はその、肉!肉!肉!って感じなのよ…特にドイツのは…。肉どーん!って。健康的にも、環境的にもベジタリアンを選択してるよ」

彼女のいう通りで、スペインで食べた肉は肉肉肉って感じで、それでもドイツの肉よりは肉ではないらしいのだが、日本で食べるお肉の柔らかさとか奥行きとか旨味とかは皆無だった(安い店だったからかもだけど)。それに比べると、ベジタリアンのお店は、味の奥行きとか変化とかがあって工夫が凝らされていて、とてもおいしかった。フムスも彼女といったレストランで好きになった。

ベジバーガーはしっかりと練られたパティを軽く揚げてあって、大変においしかった。

「日本はヤクザ、サムライなら知ってる。あとパールハーバーとかヒロシマ。まだヤクザや侍がいるの?」
「ヤクザは少ないけどいるよ。広島の戦後復興はヤクザが取り仕切ったと言われてるね。そこからはだいぶ減っているし、厳しいと思う。侍はもういないよ。あーでも侍の時代は長かったから社会の仕組みや考え方は近いかも。仕えるのが将軍じゃなくて会社になった感じにたまに思うよ」

「へえそうなんだ、日本人はどんな人たちなの?」
「そうだねえ、真面目だと思う。個よりも集団を優先かな。空気に流されることが多いかも。それがその…戦争を生んだのかもしれないし、自国で止められなかったのかもしれない。考えたり意思を伝えることを怖がる人が多いから。だから反省しないといけないと思うし、集団と空気を優先しすぎて考えそのものと責任を放棄していることを自覚すべきではとは思う…」
「とてもよくわかるよ、ドイツはその、許されることのない過ちを犯したから。ずっと償い背負っていかなければならない。」
「そうか。わたしは教科書で知っていたつもりでいたけれど、あなたから聞けたことは人生でとても貴重なことだと思う。本当にありがとう。」

「まあそれでも日本はそこそこいい国だよ、ドイツはとてもいい国だよね」と続けていうと彼女は笑って「わたしもこういう話ができてとても貴重だった、ありがとう」と返してくれた。

拙すぎる英語で話したので、ちゃんと伝えられていたのかはわからないけど、彼女の表情からその重さと、陸続きで他の国と文化が交わる場所での歴史認識と、日本での日本の歴史認識は全然違う気がした。

教科書で習うことは点、起きた事実であって、その人の感情やあやまちまで丁寧に教わることはない。ただひどい人がいた、謝った、それだけで終わらせることも多い中で、彼女の言葉は、すごく深くを理解した上での言葉だった。

結局スペイン語は「あっ!スペイン語だ!」くらいで耳が慣れたくらいで終わってしまったけど、それでも行けて良かったと思っている。いろんな国の個性と雰囲気を知れたし、むしろ英会話能力がちょっと上がった。さらに自分のままでいていいと思えた。ガタイもヨーロッパでは普通サイズだったし、わたしよりもみんな食べるし、意見が違っても普通のひととして扱ってもらえたのでとても嬉しかった。

ちゃんと拙い英語でも、ある程度心に触れて話ができるもんなんだなと、日本よりも当たり前に囚われない話しやすさを感じた。そしてみんなお節介ではなく、礼儀を持って優しい。見て見ぬふりはせず、助ける精神がある。もちろんキツイときも怖い時もあり、生活勝手の不便さには「匠を呼んでくれ」とイライラしつつ。まあ私は異物ではあったけど、異物としての尊厳はあった。消費されている感じもなくてとても気楽だった。

もう少し若い時にその環境に入れていたら、という言葉が頭をよぎりつつも、自分の人生では、いろいろ経験してタフになった今がベストなタイミングだった。そして、わたしは行きたいと思って自由に行けたけれど、恩恵を自分が掴めただけなのだともそっと思った。

事実だけを書く歴史の教科書ではその重みを描くのは難しい。だからもっと、いろんなものをいろんな角度で見て知っていきたい。

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