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フリーライダーにはなりたくない

最近、すこしだけ元気である。
身体は相変わらず厚みを持ちながら成長し続けていて、かつて未熟児で保育器に入っていたとは誰も思わないだろう。
とはいえ謎の咳はまだまだ続いているし、眠りも浅いので油断と過信してはならない感じだ。

最近、いろいろ、脳の中でアハ体験をすることがあった。そのたびに、自分がどういう人間でありたくて、どういうことをしたくないのかが明確になってきた。

その中で、わたしは、フリーライダーにはならないぞ、と心に決めた。他人がどうあれ、自分の頭と身体がちゃんと動くうちは何かしら頑張ろうと。休息とは別よ。

世の中は分業化している。
じっとしている間に、路線バスを作ってくれたり、公共交通機関を作ってくれたら、本当に楽である。
国が計画を立てて、道を作って、鉄道会社やバス会社やらができて、わたしたちはお金を払うだけで、その努力を利用することができる。

でも、働くと言うのは、立場がお客様とは違う。
それを運転する運転手になるのか、管理やメンテ、路線を引く人なのか、ダイヤを考える人なのか。売店など便利なものを増やすのか。線路がまだ無いなら、そこからしなきゃいけない。

いま無いなら作るしかないのだ。それを誰かが作ってくれないならなおさら。

相手よりも先回りしてしまうと「???これはなに?」「いまいるの???なんで???」から始まってしまう。突っ走ってしまう人、と思われる。実際人より先に走ってるから事実としてそうである。だから「仕方ないか、いると思ったんだけど。毎日頑張ってんだけど、全然伝わんねえな」「宝くじでも当たんねえかな」とはなる。

もちろん歩みのペースを合わせる時もあるけれど、そう悠長に時間をとれない超特急の日もある。それでも、いつか「???なんかわからないけどスムーズな気がする…???」となんとなくわかってもらえる人がいると、ちょっと嬉しい。

仕事のスタイルは人それぞれで、私みたいに突っ走る奴もいれば、ゆっくりコツコツするのが得意な人もいる。ひたすらに体力がある、元気とかも、とても羨ましい。だから「絶対に理解してよ!!!」とは思わない。

そもそも誰かの仕事なんて、気づいてもらえなくて当たり前で、電車が止まればキレるけど、電車があることそのものに感謝なんてされないわけである。そういった見えなくなっている誰かの仕事があるなかで、私だけわかってもらえるなんてのは甘ちゃんだよね。

農家の皆さんほんとありがとうございます🐮

とはいえ、気づいてもらえたら嬉しい。フィードバックもらえたら嬉しい。明確に結果が出たら嬉しい。評価されたらとても嬉しい。そして宝くじが当たればもっと嬉しい。

だけど一番嬉しいのは、自分が今日明日でできることが増えること。私にとっては上手に生きて上手に評価されるよりも、経験と解決する筋肉をつけられた、と思うことが大事。そして今日8時間かかったことが明日4時間になって楽になるように、次のことができるのが、喜びなのである。

フリーライドは、すごく自分が頭がよくて要領よく生きている快感があるのかもしれない。でもやっぱり、私は線路を引いて、遠くに行けるようになりたい。

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