子宮に沈める、を観ましたよ
母親が女になっていく様を、気持ち悪いと思った。男に抱かれる母親を見てしまった時、気持ち悪いと思った。気に入らなくて手を上げる母親が、気持ち悪いと思った。
「子宮に沈める」を観た。定点カメラで母親と小さな子どもふたりの崩れていく生活を、じわじわと写しだしている。映画には登場人物がいてセリフがあってそこに演技が重なってくるだろうけれど、しかしこの作品はあまりに現実的で映画だと思えなかった。まるで、家の中を覗いて見ているような気がした。
手の込んだ料理が、マヨネーズ1本に変わっていく。きれいに整えられていた部屋が、ゴミの沢山入った袋で溢れる。やわらかい赤ちゃんが、虫だらけになる。母親のセックスを見た幼い女の子が、弟に見様見真似で腹に飛びつく。
全部、私に似ていた。
普段映画を早送りで観ることはしない主義で、エンドロールまでしっかり観るけれど、今回ばかりはどうしてもだめだった。目を逸らしたくて仕方なかった。それでも観たのは、観なきゃいけないと必然的に思ったからだった。これから結婚して、もし子どもを授かったときのために。忘れたい記憶だけれど、忘れてはいけない記憶を繋ぎ止めるために。
仕方無い、と言ってしまえばそれまで。母親が堕ちていってしまったのも、部屋が荒れ放題になってしまったのも。言うなれば、子どもが亡くなってしまったのも。けれど、映画を観る側はその「仕方無い」を防ごうと考えることは出来るんだ。
人が壊れる時も舞い上がる時もいつも何かのスイッチがある。それをどれだけ見逃さないように出来るか出来ないかで、変わっていく。子どもをふたりの間に迎えるいつかのもしもの時、私は、きちんと良い母親になれるかな。