シンエヴァを見に行った時の話

久々に人と会う約束ではあったが、気乗りはしなかった。

同じ大学を志望していたものの、落ちて燻っていた側の私は、合格し、大学生活を満喫していた彼と会うのはなんとも気まずいものがあった。しかし、その気まずささえ微かな痛みと言えるほどに、私は社会から孤立し、一人でいることに苦痛を患っていた。その結果、勢いで「今度一緒にエヴァ観に行こう」と誘ったはいいものの、やはり居心地の悪い私であった。そもそも私はエヴァについてあまり詳しくない。(前作も見逃している。)正直、私はエヴァという映画を、彼と再会するための機会としてしか捉えていなかった。しかし見終えてみると、やはりエヴァそのものが素晴らしくよくできた作品だと感じた。そんな作品を前にして、友人との気まずさを誤魔化す為に、酒を呷って鑑賞しようと思った自分の浅ましさを恥じたい。

「シンジ」と碇シンジ

先述の通り、私の名前も「シンジ」である。私とシンジは名前以外もよく似ている。私は家では常にイヤホンをつけている。自己主張の激しい兄が、私の心に土足で踏み込んでこないように。耳が痛む母の言葉が、決して届かないように。私は、他の存在の介入を快く思えず、心を外に向けることもなく、小さく小さく自分の中で完結していった。カセットレコーダーにイヤホンを繋いで、自分の殻に篭るシンジ君は私そのものであった。彼はそうやって傷つくことを怖れ、大人になることを拒んだ。やがて取り返しのつかない大きなミスを犯し、その罪悪感に打ちひしがれている間に周りは大人になった。彼だけが失ったものと向き合うことをしなかった。これは、私自身もそうだ。私は、自分の学力を直視できず、受験に何度も失敗し、項垂れている間に、高校の友達は様々な経験を積み、大人になっていた。彼の弱さや幼稚さは、うざったいほど自分に酷似している。自分をありのまま見つめることから逃げていた私は、碇シンジという鏡を通して、己の愚かさを直視せざるを得なかった。

されど物語は続く

これまでテレビ版、air、序、破、Qと変わることなく、碇シンジは"碇シンジ"であったが、本作の最後には自らの過去と、自らの父と立ち向かい、そして自らの運命と立ち向かう勇敢な少年へと変貌していった。自らの内側にしか向けられていなかった眼差しは、他者へと向けられ、思いやるだけの”大人の余裕”を持つようになった。碇シンジは”碇シンジ”という硬い殻から一歩踏み出し、解放された。

これは、解放の物語である

我々は、しばしば目の前にある絶望や、どうしようもない過去に囚われ、呪われ、動けなくなる。エヴァという作品はそれをまざまざと我々に突きつけてくる。しかしエヴァは決して呪縛の物語ではない。むしろ解放の物語とも言える。碇シンジやゲンドウ、アスカ、レイ、様々なキャラクターが各々の呪縛から開放されていくことが象徴的に描かれている。そしてこの"解放"というものは、何も作中のキャラクターに限った話ではない。

作品そのものにかけられた呪い

エヴァ映画の監督として有名な庵野秀明や、その制作関係者たちもまた、今作によって解放された人物たちと言えるだろう。改めて、エヴァ作品の経緯を振り返える。アニメ版として放映されたものは、当時熱狂的な人気を得ていたが、物語が終盤に向かうにつれて、内容の難解さは大きく飛躍した。プロットも描写も、何もかもが説明されないまま、理解はほとんど視聴者に委ねられる形となった。しかし、広大な世界観や緻密な伏線などを楽しんでいたファンからは不評であったという。それを受け、改めて庵野秀明が描いたものが所謂「旧劇」と呼ばれる劇場版のエヴァであった。しかしこれもまた難解であり、ファンの怒りはさらにエスカレートする。最後には制作会社に脅迫状や殺害予告が届くようになり、庵野は精神を病むこととなった。自殺すら考えていた庵野は、その後宮崎駿や同業者に支えられながら、やっとの思いで新劇場版の3部作と終劇の制作に漕ぎ着けたのだった。
庵野自身が作りたかった作品を受け付けない読み手と、作品に寄せられる期待。それらは呪縛となって、庵野を蝕む結果となった。
だからこそ、最終作を創り終えることこそが、エヴァという作品に魅せられたファン、並びにその制作陣を、作品そのものの呪縛から解き放つことを意味するのだ。

ラストシーンから、我々へ

ラストシーンでは、大人になったシンジが実在する現代の駅を駆け上がっていき、実写とアニメが融合した映像で幕を閉じる。これは、エヴァの世界から解放された彼らが現実へと解放されていくように、次は我々が解放へと向かうべく、「己の現実と向き合え」というメッセージではないだろうか。何年も何年もエヴァの新作を待ち続け、アニメ世界に囚われたきりのファンも、庵野秀明も、エヴァという世界観から卒業して、現実へ戻る。当時、若者だった彼らも、今ではすっかりおじさんと呼ばれる年齢だ。
いつまでもエヴァという作品が続いてほしい。青くて、グロテスクで、卑屈で、訳がわからない世界に没入していたい。そんな僕たちにさようならを。家族や友人、過去の失敗から逃げているだけの、もう1人のシンジ君。次は君がエヴァに乗る番だ。