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やりたいことは既にやっている

やりたいことは既にやっている

やりたいことって思春期の青年が一人になるとごく自然におちんちんを触るようなものでしょ。

いつの間にかやっている。

やっていることも意識しないで。

人に言われて気づいたりするくらいに。

当たり前に。

鼻歌を歌うように当たり前に。

それがやりたいこと。

やりたいことをやるのに、

いちいち気合い入れたり

無理したり

やり方ばかり探してなかなか手がつかなかったり

めんどくさくてやらなかったり

それはやりたくないってこと

もちろん気合いれたり

方法さがしたり

めんどくさかったり


することはあるかもしれんが

やりたいならそれも含めて既にやっている

めんどくさくさいながらもやってしまっている

意志なんかない

やってしまっている

この言葉に尽きる


だから

やらない自分を

責めたり、鞭打って無理してやろうとするのは

なんか違う。

それも一つの趣味だしありっちゃありだけど

長続きはしないよね

息の長い付き合いはできないんじゃないかな


無理は不自然だからね


それが生活上や生存上やるべきことだったら

それが呼水となりやっちゃうかもしれんがね


ま やらない自分はそれはそれで最高な完璧な状況なのでやらない自分を責めたり、ナ二かできない自分を不甲斐なく思って罪悪感感じたりはおかしな話だし、まったくそんなこといらない

やらない自分を、思いっきり正当化してもいいんじゃないかな。

やらない、動かない

それはそれでいいやん。

自分の意志とは関わりなくそうなってる


既にやってることはやってるし

既にやらんことはやっていない


ジョジョ5部のマフィアが

殺したいと思った時は既に殺してるんだ みたいな暗殺の奥義の名言を放っていたが

そういうことだよな


絵を描いてる最中この記事も勝手になんか書きたい書こうかなって思って自然に手を出してる

別に気合いもクソもないよね


まぁ初めて何か新しいことをやる場合は、最初手を動かすことだけ力いれたりしなきゃいけんことはあるけどね


いつもやってることは、もう力はいらないでしょ

自然にやってる

息吸うように

息吐くように


わぃはいつもやってることで、なんかやれない、やる感覚が起きない時はべつにやらん。

ルーティンだ!って感じで日課としてやらん。


もちろん、日課としてやることに机に座ることはあるよ

でも、書くかどうかはしらん。自分の場合は。

なんか衝動が起こったらその場で既にやっちゃってる。

そんだけ。

何も起こらないのなら待ってる。

いや待ってすらいない。全然待ってすらいない。正直。ぼーっとしてる。別に書けないなら書けないで全く構わないしな。

そんなことより楽しいことはいくらでもある。

いま楽しいことが大切なんじゃないのかな。

いまを楽しむこと


それ以外なにがあるだろう


やりたいことを探すのもいいけど

既にやってることの中にあったりするからね

ま事実そうだし

新しい何かをやっていつの間にか好きになるってことはあるしそれは否めないけど

それも含め、探すってより、興味あることは知らん間に飛びついちゃってるよね



以上

朝突如として始まった文章でした

一筆がきで一気呵成に書いた

(ってな説明は後づけで。一気呵成に書かれた既にある文章を見ている、という現実)

いつも、毎回いきなり始まる。すべては。いつスタートしてるかも気づかない。起こっちゃってる。ぜんぶが。

絵も文も急にふらっとどこかにいくのも。突如として。

いきなりはじまる。自分とは関係ないことだ。

自分の意志や自分の選択などない。

自由意志は幻だ。

それが自由だ。


let it be〜♪







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