新興宗教の教祖になってお布施で生活したいのでとりあえず何かありがたみのありそうなことを書いてみる~人生にリセットはないが、リスタートはわりときく~
こんにちは、あるいははじめまして。
noteは初めてなのでちらっと自己紹介でもしてみます。
HN:桐谷慎也
職業:会社員(現在休職中)
趣味:適当な家庭料理と文字書きと活字読みと妄想
来歴:雪国地方都市の長子として生まれる。家族・友人関係のごたごたで思春期にうつ病を発症、高校時代に発達障害の診断を受ける。大学進学で実家を飛び出し休学と留年を経て卒業。支援機関の世話になりながら就職するも一年で離職、求職活動を経て再就職。現在進行形で適応障害真っ最中。最近引っ越した。
その他:二次小説作家、発達障害当事者、一人暮らし、性自認が希薄、肉体的性別で同性の契約パートナーあり、現在のオタクジャンルはFateシリーズ、新興宗教の教祖になってお布施で生活したい。
こんなもんでいいかな。
さて、何故僕が新興宗教の教祖になってお布施で生活したいなどと言い出したかというと、比較的社会適応ができるタイプの発達障害ゆえに適応障害を起こしやすく、社会不適合者としてなんとか不労所得で生きていきたいと思ったからです。
しかし黙っていてもお金は降ってこないので、とりあえず文字を書くのは好きだということでちょっとありがたい話でもして金を稼げないかなぁと思った所存です。
そういうわけで、ちょっとありがたいかもしれない話をします。テーマは「人生にリセットはないが、リスタートはわりときく」です。
みなさん、これまでの人生で「こうした方がいい」「これをしてはいけない」と言われたことはありますか? ありますね? 多分人と関わる上で、その手の助言は避けて通れないと思います。
特にSNSなんぞを使っていると、「これをしなければ認められない!」「こんなことをしたら人生が終わる!」みたいな言説に触れる機会も多いと推測されます。
結論から言います。無視しましょう。少なくとも元気がなくて、いままさにやめようとしている、あるいはやろうとしていることを否定された時には。
その理由としては以下のものが挙げられます。
1、ネット上の言説は過激に言い切った方がバズりやすい
2、発言者はあなたの人生や考え方、置かれている状況を知らない
3、元気がない時には回復が最優先なので、細かいことは元気になってから考えた方が効率がいい
1に関しては言わずもがな。ネット、特に匿名性が強い媒体というのは「普段言いたいけど言えないことを言う、または代弁してくれている」というものが拡散されやすい傾向にあります。
従って少々過激でもきっぱりと言い切ってくれた方が共感を得やすいものです。
さらに、過激であればあるほど共感できない人の反発も大きくなります。
結果として反響は大きくなり、バズるということです。
しかしながらそれはあくまで1個人の意見であり、万人に通用するものではありません。日本の常識は世界の非常識、常識とは偏見のコレクションのことを言う。極端に例えれば日本社会では衣服を着用することが常識ですが、野生のサルにとっては全裸が常識です。衣服の着用の有無なんて、地球上の全生命体規模で見れば常識でもなんでもないのです。
ここで2が効いてきます。
試しに、あなたが「一番親しい」あるいは「一番自分のことを理解してくれている」と思っている人をひとり、思い浮かべてみてください。親でもきょうだいでも友達でも恋人でも顔も知らないフォロワーの誰かでもOKです。
次に、「その人が知らないあなたのこと」があるかどうか、考えてみてください。どんな些細なことでも構いません。例えば三日前にコーヒーを3杯飲んだこととか、夕べのおかずとか、なんでもいいです。
全く思い当たらないというあなたはここでこの文章を読むのを止めて大丈夫でしょう。悩み事の相談は、今思い浮かべている人にしてみればなんとかなると思います。保証はしませんが、多分。少なくとも顔も知らない僕が信者がほしい一心で書いている講釈よりは、よほど有益であなたの置かれている状況や考え方に則したアドバイスをしてくれるはずです。多分。
ただし、大概の人は、なにかひとつくらいは思い当たったんじゃないでしょうか。
例えば全く遺伝子の同じ双子でも、生育環境によって全く違う人格や考え方を持つそうです。そこまで極端ではなくとも、別の個人である以上、多少の個性や理解できない部分は出るでしょう。僕が幼稚園の時に同じ学年にいた双子の女の子は性格が全然違ったし、大概の創作物の双子ものもそういうもんだし。
また、生育環境がほとんど同じでも、性格や考え方は違ってきます。「三人とも同じように育てたのに、反応が全然違った」とは僕の母の弁ですが、長子としては「いや同じことあらへんやろ」と思うものの、まぁ同じ家庭環境ということに変わりはありませんし、きょうだい全員ものの見事に性格や考え方は別です。ところどころ「やっぱきょうだいやな……」と思うところはありますが。
一番親しい人でさえ、あなたのことを完璧には理解していません。それなのに、どうでもいい他者がどれだけあなたに有益なことが言えるでしょうか。
これがカウンセラーなどの専門職ならまた別です。岡目八目、利害関係のない他人の方が物事がよくわかるというのは往々にあることです。子育てアドバイスをするケースワーカーが、自分の家庭のことではめちゃくちゃ悩むとかもよく聞きますし。
しかしちょっとSNSで流れてきたご意見が、今のあなたがすべきことをどれだけ正確に言い当てているでしょうか。
中にはかつて、今のあなたと同じ状況にあり、今あなたが考えていることと同じことを考え、今あなたがやろうとしていることを実際にやってみた人もいるでしょう。そしてその後悔から、今のあなたの判断を否定することを発信しているのかもしれません。
はい、ここで3。細かいことは元気な時に考えましょう。
元気があればなんでもできるとはよく言ったものですが、本当になんでもできるわけでは当然ありません。人間である以上呼吸なしに1時間水中で過ごすこともできなければ、よしんば木には登れたとしても10メートル先にある他の木まで飛んでいくことはちょっと難しいでしょう。SASUKEとかに出るような人はできるかもしれないけど、まぁそれは置いておいて。
しかし、元気な時にできることは、元気がない時にできることよりもよっぽど多いと思います。例えば憎きシャトルランをするとして、インフルエンザで40度の高熱がある時と、今日は朝から絶好調!という時なら後者の方がいい成績を残せるはずです。
この辺りはメンタルの不調でも同じことで、元気な時なら「うんうん、それもアイカツだね!」と頷けることに、元気がない時は「これができないなんて私はアイカツができない……」と落ち込んでしまうものです。すみませんノリでアイカツとか言ったけど僕はアイカツやったことないです。
まぁそんな感じで、元気がない時になんとか決断した行動に関して、うだうだ考えるのは元気が出てからにしましょう。せっかく限られたリソースの中でやった決断が無駄になります。なにごともリソースは有限です。とりあえず手持ちのカードで戦うしかないのです。
それでもやはり、先人の知恵とかなんとか色々あってためらうかもしれません。そこでこの記事のテーマである「リセットとリスタート」の話です。
これは恐らく自明のことだと思いますが、人生にリセットボタンはありません。ソシャゲでさえチュートリアル10連はリセマラで何度も引けるものの、一度始めてしまえばその後のガチャを引き直すことができないのです。いわんや人生をや。発達障害に生まれた事実は消せないし、中退したら大卒の称号は持てないし、家族ガチャに失敗しても家族を総取っ替えすることは難しいです。縁は切れても血の繋がりは消えません。これまでやってきたことは画面タップ程度の労力では消せないのです。
しかし実は、リスタートは意外とできたりします。
こういうこと、人はあんまり言わない気がするけど。
病気は治せるか、完治は無理でも日常生活に支障がない程度に症状を軽減することもできます。
生まれついての障害はどうしようもならなくても、苦手なことが目立たないようにするか、得意なことだけで勝負を仕掛けることもできます。
高校だって大学だって専門学校だって、いくつになっても入り直せます。
もちろんどうしようもないことはあります。例えば今30歳の人がこれからバレエを始めて、プロのプリマとして収入を得るのは難しいでしょう。だけど趣味として舞台に立つことはできるし、何なら素人バレエ団体を立ち上げればそこで主役を張ることは、ぐっと実現可能性が高まります。
仕事辞めたっていいんです。収入を得る方法を見つけることができれば、帳尻は合います。僕も新興宗教の教祖になってお布施で生活したいとかたわごと吐いてますし。
例外として、他人が強く関わることはリスタートができないことがあります。例えばすごく謝りたい人がいるとして、今日その人が死んでしまったら永遠に謝ることはできなくなります。親孝行、したい時には親はなし。そういうのはなるべく積極的にやっていく方が後顧の憂いは減るでしょう。まぁでもやりたくないことはやらなくてもいいです。後悔した時に考えてもなんとかなることもあります。Dの意思だって継げるんだし。
さて、ここで問題提起です。
じゃあどういう基準で、今やることを決めたらええねん。
それに関する僕の答えは「とりあえず死ぬ可能性が一番低いものを選べ」です。
人生リセットはできなくてもリスタートは意外とできたりしますが、死んだらそこで終わりです。ワンチャン異世界転生でチートライフを送れる可能性もありますが、今のあなたの人生とは全く関係がない人生になりますし、チートはチートなりに苦労することもありますからちょっと分が悪い賭けでしょう。転生できる保証はありませんし。
その辺はネット小説のシリーズを2~3本読めばわかるんじゃないでしょうか。今は転生ものも種類が豊富ですし、僕も転生して苦労する話はいくつか読みました。結構バカにしたものでもないですよ、異世界転生もの。テンプレート化しているだけに、オリジナリティと続けて読ませる展開は結構多様で興味深いです。
生きてるだけで致命傷とも言いますが、逆に言えば致命傷でも生きてます。臥薪嘗胆、起死回生。傷を癒して反撃しましょう。なに、物理で殴るだけが戦いではありません。むしろ現代社会においてはいかに物理で殴らず戦うか、知略を尽くしてナンボなところもありますし。
どの選択が死ぬ可能性が低いのか。それは置かれている環境や元気度、使えるリソースによって色々なので個々で判断してください。
例えばものすごく体力があって超絶ポジティブな人なら、5徹6徹当たり前の社畜生活でも死なないかもしれません。むしろ仕事を辞めた方が、福祉保障に引っ掛からなくて手持ち資金が尽きて死ぬかもしれません。
ただ、こういう記事をここまで読んでいるあなたはきっと社畜生活で死にますし、傷病手当や失業保険で離職後に食いつなぐ手段はあると思います。何なら生活保護もありますし、リソース次第では周りに援助してもらうこともできます。
人間は結構、簡単に死にます。だけどなかなか死なないと思われています。それは、現代日本において、死ぬ理由と死なない理由が人によってまちまちだからです。紛争地帯ならばドタマぶち抜かれれば死にますが、最低限文化的な生活をしている時に何が死に至る病かは人それぞれです。やりがいがなければ死ぬ人もいますし、やることをやるのがしんどくて死ぬ人もいます。
異世界転生にワンチャン賭けるギャンブラー気質があなたに備わっていない限り、まずは死なないことを第一に取捨選択をしていきましょう。
なぁに、人生にリセットはありませんが、リスタートはわりとききます。
その辺りのことは、死なない限り結構なんとかできますよ。そしてなんとかするためには、何よりも元気が重要です。
とりあえず、リスタートのことを考える元気が出てくるまで。誰が何と言おうと、死なない選択をしていくことをおすすめします。
以上、新興宗教の教祖になってお布施で生活したい人のありがたい(かもしれない)話でした。本日の説教はこれにて終了、あるかもわからない次の説教でお会いしましょう。
ご清聴まことにありがとうございました。
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