新興宗教の教祖になってお布施で生活したいのでとりあえず何かありがたみのありそうなことを書いてみる3~いい人は、あなたにとって有益な人とは限らない〜

こんにちは、新興宗教の教祖になってお布施で生活がしたい桐谷慎也です。しかし黙っていても信者は増えないので、ありがたい(かもしれない)説教をつらつらと書いています。

本日のテーマは「いい人は、あなたにとって有益な人とは限らない」です。

むしろ、個人的な経験から言葉を選ばすに言ってしまえば、「悪意を持って接してくる人の方が、善意で接してくる人よりもずっと対応がラク」とさえ思います。

いい人ということは悪い人ではないはずなのに、なぜこのようなことが起きるのでしょうか。

「いい人」の定義とは

ここでお話する「いい人」とは、「あなたに対して善意を持って接してくる人」のことです。あなたのことを少なからず好きな人、愛している人、目をかけて心配してくれる人のことを指します。

イメージがわきましたか? 具体的な人のことを思い浮かべられるでしょうか。思い浮かばなかった人もいるかもしれませんが、別にそれを恥じることはありません。人は一人では生きていけないとも言いますし、実際苦楽をわけあえる人がいる方が何かとラクなことも多いですが、別に他人との関わりは感情にもとづくものばかりではありません。袖振り合うも多生の縁、愛がなくても喰っていけます。

それにむしろ、あなたにとって「いい人」がいないことは、これから語る悲劇がないという意味では、人生を豊かにしてくれるのかもしれません。

「いい人」は面倒くさい?

さて、あなたに対して善意を持って接してくれる人がいるというのはとても素晴らしいことです。人と人とのつながりは何よりの財産とも言いますし、俗な言葉で表現すればコネやツテは大事です。

しかしその一方で、「いい人」の存在は、時にあなたに牙を剥くこともあります。

ひとつ断っておきますが、「だからいい人とは縁を切れ」という話ではありません。人間は社会的な生き物とも言いますし、あなたが極めて合理主義であり、感情をわずらわしいものと思わない限りにおいて、心を通わせることのできる関係性はとても大切なことです。

ではどういう時に、いい人――あなたに善意を持って接してくれる人が、あなたを害する可能性があるのでしょうか。

それは、善意の人があなたの直面している困難を解決するために心を砕いてくれた時。そして、あなたが困難をなかなか解決することができない時です。

善意が敵意に変わる瞬間

なぜこのようなことが起きるのでしょうか。

その答えは簡単で、人は思うように成果が出ない時にいらだってしまうものだからです。

あなたに善意を持って接してくれる人というのは、もちろんあなたのことを少なからず好いてくれる人です。あなたが困っている時は親身になって話を聞き、アドバイスをしてくれるでしょう。場合によっては金銭やその他のリソースをあなたのために割いて、何かしらの行動を起こしてくれることも考えられます。

しかし、この世は全ての労力が報われるとは限りません。信じる者は救われると言いますが、掬われるのは足元のことだってあるのです。

例えば生活リズムが乱れて困っているとします。その話をすると、「昼寝はしない方が夜によく眠れるよ」「寝る場所は寝るだけの場所にして、ベッドや布団でぐだぐだするのはやめた方がいいよ」などとアドバイスをしてくれるかもしれません。

しかし、起き上がっているだけで疲れてしまう人や、そもそもの体内時計が普通とはズレている人(医学的には概日リズム睡眠障害と呼ばれ、発達障害などで併発している人も多いです)にとって、どうしてもそのアドバイス通りにできないこともあります。

そうでなくても一通り試してうまくいかなかったことであったり、アドバイス通りにやってみようと無理をした結果なおさら調子を崩してしまうなんてこともないとは言い切れません。

すると、あなたのために尽力した人は思います。

「せっかく自分がこんなに親身になっているのにうまくいかないなんて!」

単に善意の人がいらだつだけなら、まだマシです。場合によってはあなたに対して「サボっているのではないか」「聞く耳を持っていないのではないか」という疑念を抱くこともありえます。

こうなった時、善意で割いてくれたリソースが大きければ大きいほど、あなたに対する負の感情は大きくなり、敵意・害意・悪意というものに成長して牙を剥くことになるでしょう。

もちろん、全ての善意の人が負の感情を持つとは限りません。あなたへの感情移入の度合いや、本人の性格によっては全く気にせず「いい人」であり続けるでしょう。

それでも、人の感情は時に驚くほど簡単に変化するものです。賽の河原でせっかく詰んだ石を鬼に蹴散らされると腹を立てるように、あなたが蹴躓いてしまったことを、嫌だと感じられてしまうことも、絶対にないとは言い切れないのです。

僕はそれを、誰も悪くない、とても悲しいことだと思います。

誰かの善意に報いることができなかったとしても、あなたが悪いわけではないのです。

善意の言葉は思考停止を招く

更に、善意のアドバイスや行為には、あなた自身の考える力を奪ってしまうこともあります。

これは実際の体験ですが、前職で僕は適応障害になりました。その際に、睡眠障害と拒食状態になっていました。

なぜそのような状況になったのかと言えば、「早めに職場の近くについておくようにしておくと、電車も混まないし遅延しても間に合うし多少寝坊しても安心だよ」と、そして就業時間中に耐え難い眠気に襲われることに対して「食事の後は眠くなるから昼食を控えめにするといいかもね」とアドバイスされたからです。

それを愚直に守った僕は眠るのが午前2時を回ったとしても5時には起床し、昼食は野菜スープとVAAMドリンクのみにしていました。当時オタクの間で流行っていたんですよ、イベント時のVAAM。脂肪をエネルギーに変えてくれるので過酷な環境でも体力が持つって。しかし僕は元々、朝は慌ただしくてパン2個くらい、夜は晩酌をするのでつまみ程度しか食べなくなっていったこともあり、今思えば食事量が全く足りていませんでした。その上身長155cm弱で体重45kg以下なので、エネルギーに変わる脂肪ねーから!!!

睡眠の方は少ないことを自覚していましたが、拒食状態は自然とそうなっていたので全く自覚がありませんでした。ついでに言うと自分の体格が骨と皮と筋肉がほとんどだということにも気づいていませんでした。いやー思い込みって怖いですね。元々骨が細いので体重が増えづらく、50kg以上になることがまずなかったので普通だと思っていたんですよ……自覚して意識的に肉を食べるようにしたら3kgくらい増えました。

さて、これらのアドバイスをした人は、僕に対して善意を持って接してくれる人でした。しかし取り入れた結果、状況が全く改善しないまま心身の健康だけが蝕まれていき、離職に至りました。

当時の職場では他にも色々と言われたのですが、中には「うちでコミュニケーションがうまく取れないのなら、他ではもっとうまくいかない」など、「ええ~ほんとにござるか~?」という内容のものもありました。

しかし僕がその時に全く疑問視しなかった理由はただひとつ。

「みんな、悪意があって言っているわけではなかったから」

実際、そうでした。無益なアドバイスも、今にして思えば眉唾な指摘も、ほとんど言いがかりみたいな注意だって、誰一人として悪意から口にしたわけではありませんでした。

だからこそ僕は、「僕のために言っているんだから」と多少の違和感は飲み込んで、人の言葉を頭から信じて、結果的に心身を壊しました。

そして「善意を持って接してくれる人」の一部は、どれほど親身になっても回復しない僕を見て「甘えている」とさえ言いました。

善意を持って接してくれる人がいる、それ自体はとても素晴らしいことだと僕は思います。

しかし「善意だから」「いい人だから」と自分を騙し続けていると、いい結果にはなりません。

この記事の冒頭で「悪意を持って接してくる人の方が、善意で接してくる人よりもずっと対応がラク」と僕は書きました。

それは、相手が悪意を持って接しているなら、無視したって、仮に同じくらいの悪意をこちらが返したとしても、因果応報になるからです。

すべての善意が、物事をいい方向に向かわせるとは限らない。

だからこそ、いっそ悪意の方がまだマシな時もあるのです。

ほんとうの「いい人」と出会うために、またはあなたが誰かの「いい人」であるために

さて、本記事では「いい人」のもたらすかもしれない無邪気な牙について語ってきました。

それでもやはり「いい人」は「いい人」で、あなたに善意を向けてくれる人であることに違いはありません。

なので心が疲れている時、くじけそうな時に「善意を持って接してくれる人」から身を守る方法をいくつかご紹介します。

1、「自分のために何かをしてくれた」という事実にのみお礼を言う

2、違和感があったら自分で考える/他の人に相談する

3、自分・他人を問わず、厳しい人からは距離を置く

まずは1について。アドバイスやかけてくれた労力そのものに対して、感謝を示しましょう。これは「いい人」が「いい人」でい続けてくれるためにも重要なことです。

必ずしも、実際に言われた通り行動する必要性はありません。しかしあなたのためになにかをしてくれたという事実にも変わりはありません。なので、内容ではなく行動にお礼を言う。要するに「お気持ちだけいただいておきます」ということです。

もしもあなたに気力があって、相手がそれを受け入れてくれそうなら、なぜアドバイスの通りにできないのか、または既に実行しているがうまくいかなかったことがあったなど、素直に説明してみるのもいいでしょう。そこがうまく伝われば、納得してくれるか、より的確なアドバイスをくれるかもしれません。

2については、「善意のアドバイスに従ってより悪い結果になった」ということを防ぐための方法です。

人はどうしても、相手が自分のことを思ってくれればくれるほど、無下にはできないと考えてしまうものです。

しかし、相手がどんなにあなたのことを考えてくれたとしても、あくまで他人。友達であれ、パートナーであれ、親子であったとしても、その人はあなた自身ではありません。ですから、あなたの考えや疲れ具合、置かれている環境、得意不得意について、あなたほど熟知しているわけではないのです。

それならば、間違えてしまうことがあるのも当たり前。「なにか変だな」「ちょっと引っかかるな」という心のセンサーを大事にして、自分で考えてみましょう。

もしも今のあなたに自分で考える気力がなかったとしたら、全くの第三者に話してみるのも有効です。1人で同じことを言うならば、2人、3人に聞きましょう。あるいはSNSでオープンに聞いてみるのもいいかもしれません(そのアドバイスがSNS上のことでなく、また守秘義務等に引っかかるものでなければ)。そうすれば、あなたの違和感に同意してくれる人に出会えるかもしれません。

さて、3についてですが、これは根本的に「どうして全然よくならないの!?とあなたを攻撃する可能性がある人から離れる」ということです。あくまで一時的なもので構いませんから、極力会う頻度、会話の頻度を下げたり、離れられるような策を打ちましょう。

また、別段厳しい人でなくても「善意が敵意に反転する可能性のある人」全般から一時的に距離を置いた方がいいのですが、ここで「自分・他人を問わず厳しい人」と定義したのには理由があります。

基本的に、自分に厳しい人は真面目で努力家です。その資質そのものは素晴らしいこともありますが、反面で「真面目に努力した結果が出ない」という事態に弱い可能性があります。そのため、「真面目に努力してあなたに向き合った結果」が出ないことにいらだちを覚えてしまう可能性が高いのです。

厳しいのは自分に対してだけで、他人には甘い人もいるでしょう。その場合でも油断は禁物。他人にはいくら甘くとも、真面目に努力していることに変わりはありません。その努力が報われない時、ちょっとしたきっかけで感情が反転してしまうこともあるのです。

ほら、よく言うじゃないですか。普段優しい人ほど怒ると怖いって。爽やか君は見た目通りの爽やかではなく、いきなり戦術的ワンポイントツーセッターをぶちかますタイプなのかもしれません。あるいはモブ顔しといて2年のドンとか。

「自分に甘くて他人に厳しい」というタイプの場合は言うまでもありません。そういうタイプは結構理不尽なことを言う場合が多いです。

個人的には「なんでその人と付き合ってるの?」と思ってしまいますが、恐らくあなたにとって「いい人」であるからには何かしら魅力的なところがあるのでしょう。しかしあなたのコンディションが悪い場合、魅力的な部分のメリットが理不尽を上回らない限りは、速やかに距離を置くのが望ましいでしょう。

さて、このような他人に対する対策は、ひるがえってあなたが誰かの「ほんとうにいい人」であるために大切なことも含んでいます。

あなたが誰かの助けになりたい場合、以下のことに気をつける必要があります。

1、精神的に自立して、他人に依存しすぎない

2、誰かの手助けをする時には、まず「どこまでできるか」を考える

3、見返りを期待しない範疇を超えるリソースは決して支払わない

まずは1。精神的に自立をしましょう。あなたが手助けをした人が調子を持ち直すか、うまくいかないかはあなた自身には関係のないことです。それをよく理解しておきましょう。

仕事上の付き合いなど、場合によっては関係があることもあるかもしれません。しかしあくまであなたはその人ではありません。仕事であるなら仕事をこなすためにも、感情移入をしすぎずに、「どういう手を使えば持ち直すのか」を複数考えましょう。

なお、この仕事上の付き合いであなたに関係があるという場合は、「あなたが上司であり、相手が部下である」ということを想定しています。上司であればマネジメントも重要な仕事ですから、手を尽くすのは大事です。しかし単なる同僚であれば、一旦は関係のないこととして置いておくことだって大切です。

2と3に関しては、「あなたの善意が敵意に変化しないため」の方法です。

誰かを助けたいと思うあなたは、とても優しい人なのでしょう。けれどもその感情を無尽蔵に支払った場合、同じだけの見返りがないと苦しくなってしまう可能性が非常に高まります。

それを防ぐには、まず実際に動く前に「できることと、できないことを決めて線引きをする」こと。そして動き始めたら「相手からの見返りが欲しくなるラインを絶対に超えないようにする」こと。

あくまであなたはあなた、他人は他人です。

尽くした心が蝕まれないためにも、きちんと一線を守ることが重要です。

そして、「いい人」は基本的に、あなたの敵ではありません。

あなたに善意を持ってくれる人が、その善意を持ち続けるために。

あなたが善意を持つ相手に、その善意を持ち続けるために。

決して無理はせず、付き合っていくことで人生は豊かになるでしょう。

以上、新興宗教の教祖になってお布施で生活したい人のありがたい(かもしれない)話でした。お布施と信者は随時募集中です。プロフィールにほしいものリストがあるので、貢ぎ物をしたい方はそちらをご確認いただけますとと幸いです(ほとんど買い物リストなので一部は自分で買いました。てへぺろ)。

本日の説教はこれにて終了、あるかもわからない次の説教でお会いしましょう。

ご清聴まことにありがとうございました。

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