游木トオルさんへのインタビュー/第3回「本当の自分を生きるには」
フォトグラファーの游木トオルさんにインタビューしました。
社会生活を送っていると、周りに合わせなければならないこともあります。
それでもやはり、本当の自分を生きられた方が幸せではある。
トオルさんにそのための秘訣を伺いました。
動画版はこちら
風景とのコミュニケーション
ーー風景撮る時と人物撮る時って同じですか?
それとも何か違いとかありますか?
同じところと違うところがある。
どっちも一応コミュニケーションがあるはあるんですよ。
ーー風景でもコミュニケーションはある?
あるんですよ。
だけどやっぱり、人間のコミュニケーションとはだいぶ違うかな。
人間のコミュニケーションってすごくダイレクトというか、言葉とかお互いの表情とか豊かじゃないですか。
そういうのと、自然とのコミュニケーションはまたちょっと違った次元の話で。
Souls Photo Session
ーートオルさんはSouls Photo Sessionというセッションをされていて、私も受けさせていただきました。
セッションを始めようと思ったのはなぜですか?
さっき言ったように、友達から「写真撮って」とか「撮ったらいいんじゃない」っていう風に言われて、人の写真を撮るようになった。
撮り始めて思ったのは、やっぱそこのコミュニケーションの部分が自分的にすごくおもしろい。
別にもともと写真自体が趣味なわけでもないし、そこにすごい技術を持ってるわけでもない。
けれども、やっぱそれが好きっていう気持ちとか、あと相手の人に対する興味関心とか、そこで生まれる交流みたいなものが楽しくて。
その中で、すごく素敵な表情が現れる。
素敵な一瞬とかが出てくるわけですよね。
そうなったら激写ですよね、「うわー!これいいじゃん!」みたいな。
そういうのが面白くて、(Souls Photo Sessionという)名前をつけてるだけなんですけどね。
ーーセッションを続けていく中で、何か感じたこととかありますか?
写真撮られるのが苦手とか、自分の顔とか外見に自信がないっていう人は多い。
だけど、全然そんなことなくて、やっぱりその人ならではの美しさって必ずあるんですよね。
それって別に美しさの定義があるわけじゃなくって、どう感じるか。
僕はやっぱその人の内側がストレートに出てる表情っていうのがいいなと思います。
女性の美しい笑顔とかね、素敵な表情みたいなのってだいたいある。
だけど、もっと広く言えばどんな表情でも、その人の内側が素直に現れてる表情って素敵なんですよね。
ーー泣いてても、怒ってても、それがその人の本当だったら美しい?
そうなんですよ。
それをね、美しいという言葉に当てはめるかどうかわかんないけど、味があるとでもいうのかな。
だから、取り繕った表情とか飾った顔とかね、そういうのに対しては僕はあまり興味がない。
ーーいわゆる普通の美しい笑顔とかでも、その人の中と一致してなかったら、そんなに魅力的ではない?
あんまり面白くはない。
やっぱどっか歪むじゃないですか。
あるいは、膜が張っちゃう。
素敵な笑顔とかしてるのは外見的には美しいんだけども、なんか心と切れてるから、そこに輝きをあまり感じないんですよね。
本当の自分を生きるには
ーートオルさんのブログ記事の中に「本当の自分を生きる」っていうワードがあって
本当の自分を生きている時に魅力的だったりするのかなって思いました、人は。
それはあるね。
本当の自分を生きるって、内側はそのまま隠さず生きるっていうことでもある。
ずっとそういられればいいんだけど、やっぱり社会生活を送ってく中でそうじゃないタイミングもあると思うんだけどね。
でも、できるだけ自分の内側と外側を一致させている状態でいられたら、本人もハッピーだし、もちろん表情も素敵だし、生きてて楽しいんじゃないかなと思います。
ーーたぶん昔のトオルさんは、本当の自分を生きるのが難しかったっていうか、できない部分も多かったのかなって想像しました。
でも今は、本当の自分を生きていらっしゃる。
どうしたら、そんな風に生きていけるんですか?
一般的にどうかっていうのはよくわかんないけど、気づきのきっかけっていうのがいろんなところにあるはず。
それをキャッチして気づきだしたら、そこに蓋はしないっていうことです。
その先に起こる出来事っていうのはやっぱり常に自分に気づきを与えてくれるものばかりなので、そこで自分で気づいて、あとはちょっとずつ自分で行動して、ていうことの繰り返しだと思う。
ーートオルさんの場合は具体的にどんな気づきがあったんですか?
たくさんあるんだけど、知らないうちに親の(期待する)人生を生きてたっていうところはあるんだよね。
そんな意識なんて全くなかったんだけども、いろいろ人と話をしていて、気づかせてくれるようなことを言ってくれる人がいてね。
考えてみると、いかに自分が親の期待の範囲内で、ていう制約を設けて生きてきたのかっていうのがだんだんわかってきたんだよね。
その時はすごく愕然としたし、親に対する憤りというのかな、こんな風に自分をコントロールしてたのか、みたいなのがあった。
親だって別に悪気があってしてたわけじゃないんだよ、決して。
悪意は全くないんだけど、それゆえに子供がそれに乗っかりやすいじゃない。
それに気づいて、「あ、これは自分の人生じゃないな」と思った。
それが一つ大きなきっかけだったかな。
そっからいろんなことに派生していったから。
ーー本当の自分の気持ちに気づいて、それから行動を起こしていく時に、怖さとかはなかったんですか?
ありましたね。
けど一つよかったのは、瞑想。
これ別にどっかで習ったとかじゃなくって、そういうもんがあるんだって知って、本屋さんでマインドフルネスの本買って自分なりにやるようになって。
それによってちょっとずつ心が落ち着いて、自分が本当はどうしたいのかとかが浮かんでくるようになりましたね。
~第4回へ続く~
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