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ネット社会におけるマズローの欲求5段階説の変化と未来

サラリーマン企業家である「レニー」が中途半端に成熟した日本企業においての気づきを書き溜める備忘録だ。

さて、表題の件について本書を書き進める。
本日は『ネット社会におけるマズローの欲求5段階説と変化と未来』というお話。


まずは本書の内容を要約する。

※普段とテイストが異なり、あくまでも気づきレベルのお話。※

現代はとても生きづらい。その生きづらさを加速させたものの一つに我々の生活基盤が大きく変わったことだ。ネット社会に生きている場合、①「安全の欲求」②「社会的欲求」③「生理的欲求」④「承認欲求」⑤「自己実現欲求」に順番が変わっているのではないかと考えた。

「安全の欲求」と「社会的欲求」はデジタルネイチャーに移行すると、使用する基盤上のセキュリティが確保されており、とユーザー数さえわかれば途端に簡単に満たされてしまう。しかし「生理的欲求」を満たすのはかなり難しくなるが、相当ニーズが高まることが予想される。

しかし、真に述べたいところは、①・④への欲求が集中し、それに伴い生き辛さと格差がより明確に示される状態になる。それに備え、自分に合った③を見つける必要性を訴えたい。①・④を追いかけても不幸になる。

少し噛み砕いて解説していく。

こんな仮説に至ったのは、筆者が大変に生き辛いと感じているからだ。この生き辛さの大きな原因として、SNSの登場、マスメディアの後退により、国やコミュニティを形成する状態の大きな変化にあると感じたからだ。
少し表現を変えると”自分らしく生きる”ことへの難しさだ。ここで述べる”自分らしさ”とは、ケースバイケースの話ではなく、ある程度不自由なく平穏無事に過ごせることを指している。

そうなると重要なのは、7つの大罪に対象となる美徳を如何に実行できるかにかかっていると考えている。別の記事で述べたいと思うが、情報量が莫大になり、欲求と企業のマーケティング活動が、人々を生き辛くさせる7つの大罪を助長しているようにも思う。

改めて、マズローの欲求5段階説について

人間の欲求は、
①「生理的欲求」
②「安全の欲求」
③「社会的欲求」
④「承認欲求」
⑤「自己実現欲求」
の5段階に分けることができ、積層的に積みあがっていると考えられている。参考(https://prdx.co.jp/visions-prdx/maslow/

が、これが崩れているように思う。当たり前のように聞こえるかもしれないが非常に重要な変化だ。アナログな社会構造からデジタル基盤上に移行しているのだ。すると、②と③は定量的にわかってしまう。

例えば動画配信サービスなどわかりやすい例だろう。一昔前はニコニコ動画を見ていたユーザーも多かったはずだ。しかし、YouTubeに時代が移り変わった。ここで重要なのは、サービスの質ではなく、③に該当するユーザー数だ。どのコミュニティに帰属することが明確にメリットなのかが非常にわかりやすい。

つまり、5段階の最初のステップが①ではなくなったのだ。アナログ社会の時代においては②と③は生命維持に関して相当重要な要素だ。しかし、社会基盤がデジタルに移行するとどうなるか。②と③は簡単に満たせるし、満たせていることも非常に判断がしやすい。

ある意味では、近未来の②はインターネットの回線速度やWi-Fiが繋がりやすいかなどが重要になりそうだ。しかし、これは案外簡単に買えてしまう。

変化したことで①・④/⑤は分断される

では、変化したことで①・④・⑤には何が起こったのだろうか。非常にわかりやすいのは、やはり①だろう。
飲食はコンビニ、ファストフードがこれまでも乱立していたが、輪をかけて加速したのが”性”に関するところのように思う。誰でも簡単に不倫ができる世の中になったのだ。

そして厄介なのは、①と④が近づいたことのように思う。実現させたのはSNSだろう。誰もが発信できる時代に①と④の組み合わせは最強のコンテンツであり、①と④は無限にループする。故に⑤にはたどり着けないのだ。

裏を返せば、デジタルネイチャーにおいて重要なコンテンツは以下の分類になると思う。そしてこれは特定の基盤の上で提供されるとすると、③を握ることも重要になる。

  1. 「生理的欲求」から「承認欲求」を促す仕組みを提供している

  2. 「承認欲求」を満たすことで「生理的欲求」を助長させる仕組みを提供している

④を満たした先に⑤に辿り着く必要があるが、我々は上記の通り③の上で踊らされてしまうと、なぜか①と④が足りていないのではないかと思ってしまう。そうならない為にも③が肝になることは言うまでもない。

「社会的欲求」を満たすことが難しい時代へ

デジタルネイチャーを前提と考えると、どのメタバースを選ぶのか、どのDAOを選ぶのか、どのSNSを選ぶのかは非常に難しくなる。故に、現代のインフルエンサーと呼ばれる彼らは、クローズドコミュニティの形成を始め、できるだけ、顔と名前が一致することを望んでいるように思う。

勿論、皆がコミュニティオーナーである必要もないし、なれる訳でもない。しかし、ここで重要なのは、金銭的な授受なしに成立しないとなれば、コミュニティ同士での分断が始まり、隔絶した格差を爆発的に加速させるということだ。これは必然的な潮流に思う。僅かではあるがこの水はすでに上から流れているのだ。

「生き辛い=不幸」ではないし「生きやすい=幸せ」でもない

さて、冒頭で提起したのは「生き辛さ」に関するものだ。これは絶対にはき違えてはいけない。仮に現代が過渡期における生き辛さを内包する時代であり、格差も拡大する世の中であったとしても、我々はそれが原因で不幸になる訳ではない。

デジタル社会基盤は非常にわかりやすく、人間の根源的欲求を簡単に叶えてくれると思わせてくる。特に②「安全の欲求」③「社会的欲求」は定量的に情報が可視化されてしまうので、いつの時代か★で評価が着くようになるだろう。また、所属する社会基盤の選択を誤れば、①「生理的欲求」と④「承認欲求」の狭間をシャトルランのごとく、永遠に往復し続けることになる。

そうならない為にも、「社会的欲求」を適切に満たすことのできる基盤を自ら選択することが重要になる。それはデジタル基盤で提供されるかは非常に疑わしと筆者は考えている。私自身は人付き合いが大変苦手だ。もちろん無理をするのは良くないが、自分の調整ができる範囲で参加が可能なアナログな社会基盤に参加することを強く勧める。(自分に対しても)

あとがき

書き足りなかったが、2,500字を超えてしまったのでここで書き留める。この記事を書こうと思った理由だが、時代の変化速度が上がり自分の拠り所がなくなってしまった人を散見したからだ。
しかし、この変化速度の上昇はまだ序章に過ぎないと考えている。2030年に向けてはもっと速い速度時代が移り変わっていく。すると、拠り所のない人というにはもっと増えるだろう。
そうなる前に、自分の考え、仮説をまとめておきたいと考えたからだ。別の記事、別のタイトルで肉付けしていきたいと思う。


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