【有名建築家の生涯】フランク・ロイド・ライト
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インテリアコーディネーター資格試験に臨むにあたって、必ずおさえて頂きたい有名建築家の生涯にスポットを当てる【有名建築家の生涯】。
今回は、近代建築の三大巨匠のうちのひとり、フランク・ロイド・ライトを取り上げます。
若くして突出した才能を発揮
フランク・ロイド・ライトは、1867年アメリカ・ウィスコンシン州に牧師の父ウィリアム・ライトと母アンナの間の第1子として生まれました。
彼はウィスコンシン大学マディソン校土木科を中退した後シカゴへ移り住み、建築家ジョセフ・ライマン・シルスビーの事務所で働いた後、ダンクマール・アドラーとルイス・サリヴァンが共同で設立したアドラー=サリヴァン事務所へ移ります。
ライトはアドラー=サリヴァン事務所で才能を開花させ、1888年以降は事務所におけるほとんどの住宅設計手がけました。
その後、1893年にアドラー=サリヴァン事務所を退所し、独立して事務所を構えました。
ライトは独立した1893年~1910年までの17年間に計画案も含めると200件近い建築の設計を行っています。
スキャンダラスな私生活
建築家として若くして才能を開花させたフランク・ロイド・ライト。
しかし、その私生活はスキャンダルの連続でした。
ライトの最初のスキャンダルは、1904年に竣工したチェニー邸の施主の妻であるママー・チェニーとの不倫関係でした。
当時ライトは1889年に結婚したキャサリン・トビンとの間に6人の子供を授かっていましたが、彼は妻キャサリンに離婚を切り出します。しかし妻は離婚には応じず、1909年に42歳となったライトは事務所を閉鎖し、家庭を捨て、チェニー夫人とヨーロッパへの駆け落ちを決行してしまいます。
ライトは1911年に帰国しますが、待っていたのは不倫事件により地に落ちた名声と設計依頼の激減という危機でした。
そんな状況の中でも少しずつ設計依頼が舞い込み始め、彼はウィスコンシン州スプリング・グリーンの土地に新居を建設します。
しかし少しずつ状況が好転してきたところで、再び悲劇が彼を襲います。
使用人であったジュリアン・カールトンが新居に放火した上、チェニー夫人と2人の子供、弟子達の計7人を斧で惨殺するという事件が起こるのです。当時、ライトはシカゴの建設現場に出向いていたため難を逃れましたが、精神的に大きなダメージを受け、またしてもスキャンダルの的となるのです。
失意の中、帝国ホテルの設計のため来日
公私共に打撃を受け、失意のどん底にいたライトに舞い込んだのが、日本からの帝国ホテル新館設計の依頼でした。
1913年に来日したライトは以後も頻繁に訪日し設計を進めましたが、予算が大幅にオーバーしたことと工期の遅れが原因で経営陣と衝突。
結局ライトはホテルの完成を見ることなく、離日を余儀なくされました。
公私共に様々なトラブルに見舞われたライトでしたが、1930年代後半でカウフマン邸(落水荘)とジョンワックス社という代表作を設計し、70歳代にして再び歴史の表舞台に返り咲くことができました。
波乱万丈な生涯を送ったフランク・ロイド・ライトですが、実は彼の設計のうち、アメリカ合衆国にある8つの代表作が「フランク・ロイド・ライトの20世紀建築作品群」としてユネスコの世界文化遺産に登録されています。
それでは、その8つの建築物を見ていきましょう。
①ソロモン・R・グッゲンハイム美術館(ニューヨーク)
ニューヨーク市内、セントラルパークからすぐのアッパー・イースト・サイドに位置するソロモン・R・グッゲンハイム美術館は、近現代美術専門の美術館として知られています。
こちらの美術館は「カタツムリの殻」と例えられる印象的な螺旋状の建築物で、中央部が巨大な吹き抜け空間となっています。
見学者は最初にエレベーターで建物の最上階に上がり、螺旋状の通路の壁面に展示された作品を見ながら順路を進み、階下へ降りていくような仕掛けになっています。
②ユニティ・テンプル(イリノイ州オークパーク)
郊外の住宅地にあるユ二ティ・テンプルは、ユニテリアン・ユニバーサリズムという新興宗教の教会となっています。設計は1905年で、当時としては革新的なデザインと自然光を活かした内部のステンドグラス、優れた音響設計により、厳かな雰囲気が溢れています。
③フレデリック・C・ロビー邸(イリノイ州シカゴ)
1906年に竣工したフレデリック・C・ロビー氏の邸宅であるロビー邸は、フランク・ロイド・ライトが確立した・プレーリースタイル(草原様式)の代表作と称されています。
プレイリースタイルの特徴は、当時シカゴ近隣の住宅に一般的に設置されていた屋根裏、地下室などを廃止することで建物の高さを抑えたこと、部屋同士を区切ることなく一つの空間として緩やかに繋いだことなどがあげられます。
④タリアセン(ウィスコンシン州スプリンググリーン)
タリアセンは、ウィスコンシン州の田園地帯にライトが自身の弟子と共に建設した工房です。周辺の自然環境も美しく、建物の外観から内観に至るまで細部までこだわりが詰まっています。
現在は住居や教育施設、作業場として活用されています。
⑤タリアセン・ウエスト(アリゾナ州スコッツデール)
アリゾナ州の砂漠地帯に位置するタリアセン・ウェストは、ライトとその弟子たちが、冬でも暖かく快適に過ごすために建設されました。こちらも周辺の自然環境と調和をはかるため、外観にはレッドウッドの木材や砂漠から採取した石材が用いられています。建物内部にはサボテンやネイティブアメリカンの民芸品が配置されています。
⑥カウフマン邸/落水荘(ペンシルベニア州ミル・ラン)
カウフマン邸/落水荘は、百貨店経営者エドガー・カウフマンの邸宅として、1936年に建築されました。
ピッツバーグから南東に約80kmに位置する「ベアラン」 という滝の上に建てられ、リビングから直接水辺に降りることが可能です。
さらに天然の岩をそのまま使用したリビングや「ザブトン」と名付けられた座椅子などもあり、ライトの遊び心が詰まったつくりとなっています。
こちらはインテリアコーディネーター資格試験でも頻出される邸宅ですので、ここでしっかり頭に入れておきましょう^^
⑦ハーバート・キャサリン・ジェイコブス邸(ウィスコンシン州マディソン)
ハーバート・キャサリン・ジェイコブス邸は、1936年に竣工したライトの後期作品の特徴とされる「ユーソニアンハウス」の初期の建築物です。
「ユーソニアンハウス」とは、コンパクトで手頃な価格でありつつ、魅力に溢れた小住宅群のことです。
世界最初の「カーポート」や、床暖房、床~天井までの全面ガラス窓など、当時の革新的なアイデアが詰まっています。
⑧バーンズドール邸/ホリーホック邸(カリフォルニア州ロサンゼルス)
ロサンゼルス中心街から約10kmの場所に位置するバーンズドール・アート・パーク内にあるホリーホック邸。
1917年に完成したこちらの邸宅は、アリーン・バーンズドールという女性からの依頼で設計されました。
邸宅を囲んでいる芝生の丘からは、ロサンゼルスの街やハリウッドを見渡すことが可能です。邸宅内部のステンドグラスや、マヤ文明からインスピレーションを受けた外観が印象的です。
モダニズムの流れを汲みながら、革新的な作品を生み出し続けた建築家
いかがでしょうか?
公私ともに波乱万丈な生涯を送りながらも多くの名建築を生み出した、フランク・ロイド・ライト。
その作品群はモダニズムの流れを汲みながら、マヤ文明や日本文化からも多大な影響を受け、革新的で遊び心が溢れた仕上がりとなっています。
インテリアコーディネーター資格試験でもよく出題される建築家なので、しっかり覚えておいてくださいね。
では、また♪