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反抗期の中学生に「メタ認知」を教える  まずは事始め

 中学2年から3年になる春休みで、これから受験勉強が本番になるということで、その心構えとして、原則論を伝えた。それを記事したものが下記である。要点を一言でいえば、

「聞かれていることに答えよ。そのためには、質問文にしっかりと注意を向けて理解せよ」

ということになる。

これは、テストの時だけではなく、日常の人との会話でも同じであって、テストだから緊張して、あるいは勉強が足りなくて適切に答えられなかった、のではなく、日頃からちゃんと答えるようとする習慣がないからだ、ということが、私なりに考察されたので、それを長男に伝えたのだ。

でも、そのことをモロにぶつけたら、ウルサイ親父の小言で終ってしまう。「おまえは、ちゃんと人の話を聞かないから、勉強だってできねえんだ」といった具合に。(いや、たぶんなっていた気もする)。

しかし、そこは一応、若い頃に学者の訓練を受けて、未だにその端くれだと思い込んでいる、めんどくせーオヤジの私である。どんなことでも、多少の知識と理屈で正当化するスキルだけは健在だ。

質問に的確に答えない息子に、イラッとした後、気を取り直して、

メタ認知 事始め

「パパが昔、勉強した分野で、「メタ認知」っていう概念があるんだが、これを知っていると、とっても役立つんだ。勉強にもだけど、普通に生活している時も、だ。

これは、自分が何かを理解していると思ったら、それを、自分がどのように理解しているかを理解することを言うんだ。

確認が大切になる意味

人っていういうのは、自分が何か、耳に入ったこと、あるいは目に入ったことは、そのとおりに相手が言ったとか、そこに書いてあった、と思ってしまうものなんだが、実際は、その一部を切り取っていたり、勝手に自分が違う風に解釈したりしていることが多い。

なんで、まあ、自分がわかった、と思っても、見直しをする、あるいは聞き直しをする、といったことを、もう1度、するようにしたらいい。

たとえば、パパが何か尋ねたり、あるいは、何か持ってきて、と頼んだら、第一段階は、パパに注意を向けて、最後まで言ったことを聞く。そして、その上で次の第二段階として、「自分が理解したと思ったことが、それでいいかどうか」と、今度は、自分の頭に注意を向けて考えるんだ。」

と説明した。

メタ・メタ認知・・・無限ループ?

うん、うん。と聞いていたが、これって、とっても難しいから、すぐわかるわけがない。そもそもメタ認知が出来たかどうかは、それ自体をメタ認知できなきゃいかないのだから、「はい、ではメタ認知をします」とか、「メタ認知が出来ています」なんて言えない類のものだ。

でも、ここで彼にわかってほしかったことは、そんな哲学的な無限ループの問題ではなく、「まずは、最後まで文章に注意を向けること」、そして、「質問者の意図」をしっかりと考えることの2つのプロセスである。

 

 次に、テストの時に、メタ認知がどう役立つかの説明に進めたのだが、これは次回の話題としますね。