言葉の重みがある人になりたい

幸せってなんだろうね。愛するってなんだろうね。私にはこういった日常にありふれている陳腐な言葉の意味が理解できない。

幸せだね。愛してる。なんてものすごく軽い言葉だ。言葉以外で感情を共有できたらいいのに。そうしたら私の思いを一言一句違わず届けることができるのに。

付き合ってすぐの状態で「愛してる」っていってくるやつなんなん?好きになるのに時間かからなくない?って言ってくるやつなんなん?そのくせ1ヶ月も経つと音信不通になるのなんなん?下半身が喋っているかのようなその薄い言葉はなんなん?

言葉に重みも乗せられない奴らが愛してるとかほざくんじゃないよ。お前の愛に覚悟1mmもないだろ。その好きに感情はないだろ。

言葉に重みのある人とだけ話していたい。自分の話している言葉の意味を考えながら話している人と関わっていたい。


世の中は情報が溢れすぎている。私の中に入っていってもすぐに出ていってしまう。私はそんな自分が怖い。

話したいい人と話して、会いたい人とあっているはずなのに、その人とどんな会話をしたか思い出せない自分が嫌だ。実際にあって話した内容よりもSNSの内容の方を覚えてしまっている自分が嫌だ。もっと現実世界にアンテナを張ってリアルを感じて生きていきたい。


リアルっていうところで、あんまり関連してないけど思いだしたことがある。自分の口から一度でも発したことがある言葉って2回目以降口にするの簡単にならない?

例で言うと「大好き」とか。そもそも誰とも付き合ったことがない状態だと、好きって言う言葉を言うこと自体がものすごく勇気を必要とすることだし、ましてや好きじゃない人に言うことなんて考えられない。でも何人かとお付き合いをして、なんならワンナイトとかも経験すると、好きじゃなくても「好き」って言えるようになってる。こないだ大好きって自分が言った時の違和感が気持ち悪すぎて思ったよね。「あー、全然この人のこと好きでもないのに、大好きって言ってる自分気持ち悪い。いつから私の言葉はこんなに軽くなったんだろう」って。いつの間にか自分のなりたくなかった軽い言葉を発する人になってきてるのかもしれない。怖いね。今気づけてよかった。ありがとう、好きでもない人。

この気づきと同時に思ったのは、自分の違和感無視しちゃいかんな、と言うこと。私は自分の直感を信じて生きてきたし、これからもそうしていこうと思ってるのに、人が絡むと(例えば会話の途中とか)咄嗟に相手が望みそうなことを言ってしまう。この会話の中での違和感最近良くあったんだけど、ことごとくうまくいってないんよね、その後。やっぱあの時の違和感正しかったか〜って思うことが9割以上。そう思うとさ、直感ってすごすぎん?どこで判断してるんだろうね。相手の目線とか、身振り手振りとか?それとも自分の中での意思が実は既にあって、それが感じ取れないなりに主張してきてくれてるのかな。そう思うと、私が自分の中の声を聞けていないって可能性があるのか。あり得るな〜。どうしても最近自分じゃない人とか物とかを優先する生活を送ってしまっているから。自分のやりたいこととか、聞きたいこととか咄嗟に言え、って言われても言える自信ないわ。

まあ、うっすらその自覚あったから、自分に向き合うためにこうやってnoteをカタカタと書いてるんですけれども。

これは私の心の声。誰に見せるでもない私の本心だから。もし私の知り合いが見て幻滅したらそれまでだし、面白いって思ってもらえたら万々歳。こうやってちょっとずつでも私が私らしくありのままの私でいられる場所をなんとしてでも作ってこ。自分を守るために。私の好きな私でいるために。


最初言葉の重みとか書いっとったのなんやったん。(唐突な方言)

でもね〜、これは私の日記やから全然いいねん。私の素を出すとこやから。

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