【追悼】アントニオ猪木
私が松江にいた頃なので35年位前になると思います。松江東高校?だったと思いますが、その高校の創立記念の行事で、新日本プロレスがちょうど巡業に来ていたようで、なんとあのアントニオ猪木を講師で呼んでいました。
私はどうしても話が聞きたかったので、その当時は学研にいたため高校の先生にお願いして、自分も一緒に参加させていただきました。
学校主催の行事のようで、先生が淡々と司会進行をして、いよいよ猪木の登場です。本当に猪木ファンなら、イノキボンバイエくらいは用意すると思うのですが、そんな演出も全くなく、いきなり猪木が現れて壇上に上がりました。
まだその頃は
「元気ですか!!」
などのせりふはなく、普通に話し始めました。内容はブラジルで陸上部に入って砲丸投げをしていたのだが、前日よりも1ミリでも絶対に遠くに投げないと練習をやめなかった、そうすればいつかは日本まで届くのだと思って、練習していた。という話でした。これだけです。公演時間は1時間20分取ってあったのですが、20分で終わってしまいました。さすがに猪木もこれではまずいと思い、
「よし、じゃあ質問コーナーだ!!」
と勝手にコーナーを作って、質問させようとしたのですが、誰も手を上げません。猪木は遠慮しているのだと思って、
「遠慮せずになんでも聞いてください」
と低姿勢なのですが、この高校は進学校なのか?猪木には興味がないみたいです。
しばらく沈黙があって、誰も手を上げないものですから、猪木が少し怒ったように、
「よし、じゃあ次のコーナーだ。この学校の番長出て来い!!」
と言ったのですが、誰も出て行こうとしません。本当に番長などがいないのかもしれませんが…。
まだ時間はだいぶあって、猪木も講演料をもらっているから悪いと思ったのか、何とか間を持たせようと、
「では次のコーナーだ。この学校で一番でかい奴出て来い」
と強引に絶対に誰かが出て行かなければならないようなコーナーを作りました。
しばらくは誰も出て行こうとしなかったのですが、猪木の顔が本気で怒っているのを見て、先生が「○○君、行きなさい」と指名してしまいました。
その生徒は、単に身長がでかいというだけで、全然体も強そうではなく、なよなよしたタイプの生徒でしたので、いやいや壇上に上がって行ったのですが、そこで猪木はいきなりビンタをかまして
「どうだ!!」
というのです。どうだと言われても、その生徒は本気で痛がっているだけで、会場はシーンと静まり返って暗ーくなって行きました。
「よし、これならどうだ」
といきなりヘッドロックをかけました。その生徒は本気で悲鳴をあげて痛がっていましたが、多分泣いていたと思います。
見かねた先生が「猪木さん、もういいです」と止めてくれたので、何とか生徒は壇上から逃げることが出来ました。
たまたま猪木と同行してケロチャン(昔のリングアナ)がいたのですが、機転を利かして壇上に上がり、「では最後に、私の呼び出しで締めたいと思います」「なんとかかんとか アントニオいーのーきー」とマイクしてくれて、結局30分以上時間を残して退場してしまいました。
こんな猪木が大好きです。
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