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Parvāne - 尸者 (EGO EPIS) [DEMOth 05/11]

[Lyrics]

Parvāne’s demo tracks of upcoming album are streamed as one of a privilege for supporters, and whole discography (including this song) is downloadable as well.
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「『十九角形』から数えてもう3曲目だろ? 2ndアルバムのレコーディングすら始めてないのにそんな頻繁に新曲公開しちゃっていいのか?」という意見がありうるし、実際それには俺も同意するよ。ただね、この『尸者』だけは誰でもアクセスできるかたちで出しておきたかったんだ。何故かというと、俺がこのアルバムを仕上げる前に死んでしまう可能性が日に日に高くなっているからだ。
 ああ誤解しないでくれよ、心身の不調なんかは一切無いし、バンドとの意思疎通も良好だ。あらゆる意味で中途半端なことしかやれてなかった20歳代のころと比べて、今まで生きてきた中でも一番ちゃんと音楽やれてる時期だと思うよ。ただ金銭的な問題だけがあってね。俺は自分が餓死しないための最低限の生活費以外は全部音楽に注ぎ込んでるから(もちろんムスリムとして義務の喜捨は果たした上でだ)、収入はすべてメンバーへの報酬とリハーサル費用に消えていく。クレジットカードなんか持ってるわけないし、Netflix や Amazon prime なんかの契約とも無縁だし、そもそも部屋にインターネット常時接続回線すら無い。こういう大容量の動画をアップする際には、必ず近所のレストランかコインランドリーのフリーWi-Fiを使わなきゃいけないんだよ。なあ今時さ、ネットに繋ぎもせずソーシャルメディアに入り浸りもせずそれでも生きるに値する仕事を黙々と続けられる人間がいったいどこにいると思うね? ここにいるんだよ。俺がそいつだ。休みの日に外へ遊びに出かけもせず、ただ部屋の中で必要なことだけをこなして気がつけば陽が暮れててその繰り返しに毎度確かな手応えを覚えるっていう、西暦2020年代の人間が嬉々として手放して顧みない人間の姿勢と無縁に生きることができないのがどうやら俺らしいんだ。
 かといって、俺がラップトップに非人間的な音楽をプログラミングして悦に入ってばかりいるような「打ち込みバカ」ではないことは、今まさにバンドと交わしてるリハーサル作業が証明してくれるだろうな。単なる事実として書いておくけど、俺は Guitar Pro のデモにボーカルを乗せるだけでこれほどの格に仕上げることができて、なおかつその曲を(ギタリスト不在の状態で)スタジオ合わせするだけでこんなことになってしまうような作曲家でありパフォーマーなんだ。君がこのテキストを読んでくれてること自体は嬉しく思うよ。ただ、「まあこのままじゃ自滅しそうなプロジェクトだけど、でもこの人たちの音楽が世俗的な滞りもなく伸長することができたとしたら、一体何が起こってしまうのだろうか?」ということを、ぜひ具体的に考えてくれ。俺たちは世界を半分だけ変えるダンスミュージックをやってるんだ。「半分だけ変える」っていうのは、つまり「治す」ってことさ。もはや治る気すら無くしてしまったらしい惨めな人間の泣き言が大合唱で響き渡るこの時勢に、俺たちはすべての音楽にリスペクトを捧げ、しかしそれらのジャンルたちの先達らが「まさか、こんなはずじゃなかった、私があの音楽を作ったのはこんな後続を産むためじゃなかった」と言わざるを得なくなるほどフレッシュなやつをやるし、やらざるを得ない。 Parvāne の名で打ち出されるのは、「まさかこの世界にこんな理性(raison)の比率(ratio)があり得るとは」という驚きを誰の口からも吐かせしめるような新しいダンスミュージックなんだ。俺は死ぬまでそれを作り続けるし、死んだとしても俺の獰猛な作品たちは残り続ける。さしあたって、月に1回程度のバンドのリハーサル代(約5万円)さえ賄えたら、とりあえず俺は死なずに済むわけだがな。 Patreon のサポート特典としては『尸者』以外にもヤバい新曲のデモが聴けるし、さらに Parvāne 旧譜のデータもすべて無劣化の状態でダウンロードできるから、ぜひ今すぐ金を出してくれ。
 君はまだ知らないかもしれないが、才能や金や時間なんてのは、人間ひとりひとりが後生大事に蓄えておくようなものじゃないんだよ。むしろ才能や金や時間は、個人よりもより大なる目的のために(俺は決して「他人のために」って書いたんじゃないぜ)使えば使うほどに善なるグルーヴを増すものなんだ。もし志半ばで死んだとしても、俺が費やした才能と金と時間の結果つまり作品の力で、まだ顔すら知らない君の世界を半分だけ変えうると信じている。いや信じているんじゃない、俺はそもそも物事を変えることしかできないし、Parvāne の作品を通して新しい鳴動が次々と起こる事実を端的に書いているだけだ。それが俺の生きているうちに起こるか、それとも肉体後の段階に移行した後で起こるか、結局それだけの違いしかない。うん、どうやら今回はそのことを言い当てるために書いていたようだな。
 とりあえずは以上。俺は君からの金銭的支援が有っても無くても、相変わらず音楽を進めるためだけに生活を捧げるよ。君の目の前で『尸者』を演奏できる日が来るのが楽しみで仕方ないぜ。じゃあな。生きてるうちに必ず会おうな。


田畑佑樹 (also known as 試金)

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